川島 正次郎
カワシマ ショウジロウ
- 肩書
- 衆院議員(自民党),自民党副総裁,専修大学総長
- 生年月日
- 明治23年7月10日
- 出生地
- 千葉県市川市
- 学歴
- 専修大学経済科〔大正3年〕卒
- 経歴
- 内務省、東京日日新聞記者、後藤新平東京市長秘書を経て、昭和3年の総選挙で政友会から初当選。以来千葉1区から連続14期。戦時中は大日本政治会情報部長。30年鳩山内閣の自治庁・行政管理庁長官、36年北海道開発庁・行政管理庁長官、37年池田内閣の五輪担当大臣。この間34年自民党幹事長に就任し、川島派を率いて河野一郎・大野伴睦と共に党の指導者として君臨、39年から副総裁をつとめた。池田内閣誕生、佐藤総裁四選工作の際の手腕は“政界の寝技師”と評された。
- 没年月日
- 昭和45年11月9日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
川島 正次郎
カワシマ ショウジロウ
昭和期の政治家 衆院議員(自民党);自民党副総裁;専修大学総長。
- 生年
- 明治23(1890)年7月10日
- 没年
- 昭和45(1970)年11月9日
- 出生地
- 千葉県市川市
- 学歴〔年〕
- 専修大学経済科〔大正3年〕卒
- 経歴
- 内務省、東京日日新聞記者、後藤新平東京市長秘書を経て、昭和3年の総選挙で政友会から初当選。以来千葉1区から連続14期。戦時中は大日本政治会情報部長。30年鳩山内閣の自治庁・行政管理庁長官、36年北海道開発庁・行政管理庁長官、37年池田内閣の五輪担当大臣。この間34年自民党幹事長に就任し、川島派を率いて河野一郎・大野伴睦と共に党の指導者として君臨、39年から副総裁を務めた。池田内閣誕生、佐藤総裁4選工作の際の手腕は“政界の寝技師”と評された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
川島正次郎
かわしましょうじろう
(1890―1970)
政治家。千葉県生まれ。専修大学卒業後、内務省属官、『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)記者、東京市商工課長などを経て、1928年(昭和3)衆議院議員(千葉1区)に当選。政友会所属。以来13期務める。戦時中、大日本政治会情報部長の地位にあったため、戦後、公職追放となるが、1952年(昭和27)総選挙で政界復帰。1955年保守合同に尽力し、自治庁長官兼行政管理庁長官。1959年自民党幹事長、1964年以降、池田勇人(いけだはやと)、佐藤栄作内閣期の自民党副総裁として長期保守政権を支えた。大野伴睦(おおのばんぼく)、河野一郎とともに党人派実力者として川島派を率いた。
[荒 敬]
『林政春著『川島正次郎』(1971・花園通信社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
川島正次郎 かわしま-しょうじろう
1890-1970 昭和時代の政治家。
明治23年7月10日生まれ。「東京日日新聞」記者,東京市商工課長などをへて昭和3年衆議院議員(当選14回)。第2次鳩山内閣・第2次池田内閣の国務相。34年自民党の幹事長,39年副総裁に就任。党人派実力者として党内の調整に手腕を発揮した。昭和45年11月9日死去。80歳。千葉県出身。専修大卒。旧姓は柳原。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
川島 正次郎 (かわしま しょうじろう)
生年月日:1890年7月10日
昭和時代の政治家。衆院議員(自民党);自民党副総裁
1970年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報