精選版 日本国語大辞典 「川村景明」の意味・読み・例文・類語 かわむら‐かげあき【川村景明】 元帥・陸軍大将。子爵。鹿児島県出身。幕末の英艦砲撃事件、戊辰(ぼしん)戦争に参加。西南戦争、日清戦争を経、日露戦争では鴨緑江軍司令官。嘉永三~昭和元年(一八五〇‐一九二六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「川村景明」の解説 川村 景明カワムラ カゲアキ 明治・大正期の陸軍大将・元帥,子爵 生年嘉永3年2月26日(1850年) 没年大正15(1926)年4月28日 出生地薩摩国鹿児島(鹿児島県) 旧姓(旧名)野崎 経歴父は薩摩藩士。文久3年の薩英戦争に14歳で初陣、19歳で戊辰の役に従軍、会津城陥落で帰郷、賞祿八石。明治3年歩兵小隊小頭、4年軍曹となり親兵隊に参加。5年少尉、6年中尉、7年大尉と進み、9年萩の乱に従軍、10年西南役に出征、功により勲四等。27年少将、近衛歩兵第1旅団長で日清戦争に従軍、講和後台湾守備に就き、凱旋後男爵。30年中将、第1師団長、34年第10師団長、37年日露戦争に独立第10師団を指揮して従軍、38年大将、鴨緑江軍司令官。戦後東京衛戌総督、次いで軍事参議官、大正3年元帥、子爵となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「川村景明」の解説 川村景明 没年:大正15.4.28(1926) 生年:嘉永3.2.26(1850.4.8) 明治大正期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士野崎吉兵衛の3男。のち川村家の養子。薩英・戊辰両戦争を経て,明治4(1871)年天皇直属の御親兵隊に加わる。日清戦争では近衛師団歩兵第1旅団長を務め,台湾割譲を定めた28年4月の日清講和条約に基づいて台湾占領に当たり,現地住民の抵抗鎮圧の指揮をとり,多くの犠牲者を出した。日露戦争では独立第10師団長を務め,第4軍(司令官野津道貫)の指揮下に入り,第1・2軍の主力所在地間の空白地域を固めた。37年8月下旬からの遼陽攻撃,占領に功をあげ,38年1月鴨緑江軍の新編成に伴い同軍司令官に任命され大将に進む。満州軍(総司令官・大山巌)と共同作戦を展開し,同24日に苦戦のなか清河城を占領。満州軍も前進し,奉天(瀋陽)会戦へと進む。戦後約7年余東京衛戍総督。大正4(1915)年元帥。<参考文献>参謀本部編『明治二十七,八年日清戦史』7巻,児島襄『日露戦争』3巻 (山村義照) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川村景明」の解説 川村景明 かわむら-かげあき 1850-1926 明治-大正時代の軍人。嘉永(かえい)3年2月26日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。薩英戦争,戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後,陸軍にはいり,日清(にっしん)戦争では近衛歩兵第一旅団長,日露戦争では第十師団長をつとめた。明治38年陸軍大将。大正4年元帥。大正15年4月28日死去。77歳。本姓は野崎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「川村景明」の解説 川村 景明 (かわむら かげあき) 生年月日:1850年2月26日明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将;元帥1926年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by