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川村景明 かわむら かげあき

美術人名辞典の解説

川村景明

元帥・子爵。鹿児島生。薩摩藩士野崎吉兵衛の子。日清戦争の際には近衛歩兵第一旅団長として出征日清戦争では陸軍中将となり、独立第十師団長として転戦し、陸軍大将・鴨緑江軍司令官に進んだ。のち東京衛戌総督・軍事参議官を歴任した。大正15年(1926)歿、77才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川村景明 かわむら-かげあき

1850-1926 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)3年2月26日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。薩英戦争,戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後,陸軍にはいり,日清(にっしん)戦争では近衛歩兵第一旅団長,日露戦争では第十師団長をつとめた。明治38年陸軍大将。大正4年元帥。大正15年4月28日死去。77歳。本姓は野崎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

川村景明

没年:大正15.4.28(1926)
生年:嘉永3.2.26(1850.4.8)
明治大正期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士野崎吉兵衛の3男。のち川村家の養子。薩英・戊辰両戦争を経て,明治4(1871)年天皇直属の御親兵隊に加わる。日清戦争では近衛師団歩兵第1旅団長を務め,台湾割譲を定めた28年4月の日清講和条約に基づいて台湾占領に当たり,現地住民の抵抗鎮圧の指揮をとり,多くの犠牲者を出した。日露戦争では独立第10師団長を務め,第4軍(司令官野津道貫)の指揮下に入り,第1・2軍の主力所在地間の空白地域を固めた。37年8月下旬からの遼陽攻撃,占領に功をあげ,38年1月鴨緑江軍の新編成に伴い同軍司令官に任命され大将に進む。満州軍(総司令官・大山巌)と共同作戦を展開し,同24日に苦戦のなか清河城を占領。満州軍も前進し,奉天(瀋陽)会戦へと進む。戦後約7年余東京衛戍総督。大正4(1915)年元帥。<参考文献>参謀本部編『明治二十七,八年日清戦史』7巻,児島襄『日露戦争』3巻

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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