川村花菱(読み)かわむらかりょう

精選版 日本国語大辞典 「川村花菱」の意味・読み・例文・類語

かわむら‐かりょう【川村花菱】

  1. 劇作家。東京出身。近代劇脚色演出に従い新派維持に努めた。著「中元の夜」「母三人」。明治一七~昭和二九年(一八八四‐一九五四

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20世紀日本人名事典 「川村花菱」の解説

川村 花菱
カワムラ カリョウ

大正・昭和期の劇作家,演出家



生年
明治17(1884)年2月21日

没年
昭和29(1954)年9月1日

出生地
東京・牛込筑土前町

本名
川村 久輔(カワムラ キュウスケ)

別名
号=旗洗亭

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔明治43年〕卒

経歴
早大在学中から「歌舞伎」に劇評脚本を発表し、明治43年藤沢愛二郎の俳優学校教師となり、44年処女作「女一人」を上演。45年有楽座の定期興行土曜劇場をおこす。土曜劇場解散後は芸術座に戻り、脚本部員兼興業主事となる。昭和に入ってからは新派劇のための脚色、演出をし、多くの新派俳優を育てた。大正12年「川村花菱脚本集」を刊行。代表作に「母三人」「三日の客」などがあり、没後随筆松井須磨子」が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川村花菱」の意味・わかりやすい解説

川村花菱
かわむらかりょう
(1884―1954)

劇作家。東京・牛込の生まれ。本名久輔。1910年(明治43)早稲田(わせだ)大学英文科卒業。東京俳優学校の教師を経て、13年有楽座の土曜劇場、ついで新日本劇団をおこし、また芸術座脚本部員兼興行主事など実際面に活躍した。のちもっぱら新派の脚本・演出を担当、若い俳優を育成して昭和期の新派を支えた。舞台構成と観客心理、写実的な台詞(せりふ)を重視し、作品は約320編。代表作に『母三人』『露のあとさき』『遙(はる)かなる弟』『三日の客』など。

菊池 明]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川村花菱」の解説

川村花菱 かわむら-かりょう

1884-1954 大正-昭和時代の劇作家,演出家。
明治17年2月21日生まれ。東京俳優養成所の教師となり,明治45年有楽座の土曜劇場,ついで新日本劇をおこす。また芸術座の脚本部員兼興行主事として活躍。のち新派の脚本・演出を担当,俳優の育成につとめた。昭和29年9月1日死去。70歳。東京出身。早大卒。本名は久輔。作品に「母三人」「露のあとさき」など。

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367日誕生日大事典 「川村花菱」の解説

川村 花菱 (かわむら かりょう)

生年月日:1884年2月21日
大正時代;昭和時代の劇作家;演出家
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川村花菱の言及

【芝浜革財布】より

…こののち,前進座の瀬川菊之丞,河原崎国太郎のコンビによるものも多く行われ,大衆的で娯楽性の豊かな二番目狂言として定着している。また,歌舞伎とは別に,新派の系統で,42年7月に川村花菱の脚本により,魚屋金太郎を小堀誠,女房おとわを喜多村緑郎のコンビで上演されている。【落合 清彦】。…

※「川村花菱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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