巣守神社(読み)すもりじんじや

日本歴史地名大系 「巣守神社」の解説

巣守神社
すもりじんじや

[現在地名]栃尾市栃堀

栃堀とちぼり集落の中央高台にある。天香具山命と守門すもん岳の山霊とされる刈谷田姫を合祀する。東方の標高一五三七・六メートルの守門岳を仰ぎみる位置にある。もとは刈谷田かりやだ川支流菅谷内すげやち川沿いの本宮もとみやまたは本守門もとすもんとよばれる地にあったが、元禄四年(一六九一)に現在地に新たに社殿を建て神体を移した。旧社地には樹齢数百年の欅の神木が残る。創建年代不詳。かつては高波たかなみ保とよばれた地域一円の総社守門大明神に比定されてきた。近年はたいらにあった守門神社を総社とする説もある。文化二年(一八〇五)正一位守門大明神と改められたが、明治二年(一八六九)に巣守神社と改称。同六年に村社となり、栃堀集落の氏神とされたが、刈谷田川の恩恵に浴する下流地域の見附市や南蒲原みなみかんばら中之島なかのしま村方面からの参拝者も多い。

巣守神社
すもりじんじや

[現在地名]広神村並柳 小田

祭神高皇産霊神。北東方かなたにある守門すもん岳の山岳信仰に源を発する神社で、かつては須門すもん大明神ともよばれた。また守門岳へ至る登山道の最下部に位置するところから下之宮とも称した。元禄一一年(一六九八)の並柳新田新検以来高詰除地書上帳(巣守神社蔵)に「堀之内組小田村に下の宮須門大明神御立候、抑々此明神は人皇五十二代嵯峨天皇の御時立せ給ひ、近辺七カ村の鎮守に御座候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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