デジタル大辞泉 「工藤栄一」の意味・読み・例文・類語 くどう‐えいいち【工藤栄一】 [1929~2000]映画監督。北海道の生まれ。ドキュメンタリータッチの集団抗争時代劇を多数手がけた。代表作「十三人の刺客」「大殺陣」など。また、「必殺仕置人」「傷だらけの天使」などのテレビドラマでも才能を発揮した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「工藤栄一」の解説 工藤 栄一クドウ エイイチ 昭和・平成期の映画監督 生年昭和4(1929)年7月17日 没年平成12(2000)年9月23日 出生地北海道苫小牧市沼ノ端 学歴〔年〕慶応義塾大学法学部〔昭和26年〕卒 主な受賞名〔年〕京都市民映画祭監督賞(第11回)〔昭和38年〕「十三人の刺客」,毎日映画コンクール特別賞(第55回)〔平成13年〕 経歴昭和27年東映入社。企画部を経て、京都撮影所製作部に移る。助監督を経て、34年「富嶽秘帖」で監督デビュー。東映時代劇全盛期は「次郎長血笑記」(35年)など多くのチャンバラ映画を手がけた。時代劇が衰退する頃から抗争劇に転じ、「十三人の刺客」(38年)「大殺陣」(39年)など集団時代劇の秀作を作り、新しい時代劇として注目された。40年頃から実録やくざものやハードボイルド・アクション映画を手がけ、代表作に「日本の暗黒史・血の抗争」(42年)「その後の仁義なき戦い」(54年)「影の軍団・服部半蔵」(55年)「ヨコハマBJブルース」(56年)「野獣刑事」(57年)「逃がれの街」(58年)などがある。また45年頃からテレビ時代劇の演出でも活躍、「剣」「必殺仕事人」「傷だらけの天使」シリーズはレギュラーで参加。スピーディーなアクションと映像美を駆使して新しい活劇作りを目指し“映像の刺客”とまで言われた。晩年は「泣きぼくろ」(平成3年)などVシネマにも活動の場を広げていた。他の作品に映画「赤と黒の熱情」「安藤組外伝・群狼の系譜」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by