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服部半蔵 はっとりはんぞう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

服部半蔵
はっとりはんぞう

[生]天文11(1542).伊賀
[没]慶長1(1596).11.4. 江戸?
江戸時代初期の幕臣。名,正成。父保長に次いで徳川家康に仕え,16歳で三河宇土城の夜討に功を立てた。天正 10 (1582) 年6月本能寺の変に際し,明智軍に退路を断たれた家康を伊賀者,甲賀者を使って無事岡崎城へ送り届けた。

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デジタル大辞泉の解説

はっとり‐はんぞう〔‐ハンザウ〕【服部半蔵】

[1542~1596]安土桃山時代の武将。三河の人。名は正成(まさなり)。半蔵は通称。徳川家康に仕え、姉川の戦い三方ヶ原の戦いなどで活躍。本能寺の変に際しては、堺に滞在していた家康を護衛し、無事に三河へ帰還させた。家康の関東入国後は、伊賀同心を支配した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

服部半蔵 はっとり-はんぞう

1542-1596 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)11年生まれ。父服部保長の跡をつぎ,徳川家康につかえる。本能寺の変のときには堺から家康を無事に三河(愛知県)に帰還させた。家康の関東入国後,伊賀(いが)同心を支配した。江戸城半蔵門の名は,門外に半蔵の屋敷があったことによる。慶長元年11月4日死去。55歳。三河出身。名は正成(まさなり)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

服部半蔵

没年:慶長1.11.4(1596.12.23)
生年:天文11(1542)
安土桃山時代の武士。伊賀国服部郷出身の服部半三保長の子。通称の半蔵は半三とも書き,石見守を名乗ったこともある。名は正成。父の保長は伊賀から三河に来て松平清康,広忠,家康3代に仕え,半蔵は三河の生まれ。父の跡を継いで家康に仕え,伊賀者を支配した。永禄12(1569)年の遠江懸(掛)川城攻め,元亀1(1570)年の姉川の戦,同3年の三方ケ原の戦などで戦功をあげたが,いかにも伊賀者の頭領らしい働きぶりを示したのが天正10(1582)年の本能寺の変のときであった。このとき主君家康は和泉の堺で遊覧していたが,わずかな手勢のなかに半蔵も含まれており,半蔵の手引きによって伊賀の間道を通り,無事,三河に送り届けている。その後,遠江の内で8000石を与えられた。天正18年の家康の関東移封後,与力30騎を預けられ,伊賀同心200人を支配することになった。

(小和田哲男)

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世界大百科事典 第2版の解説

はっとりはんぞう【服部半蔵】

1542‐96(天文11‐慶長1)
徳川氏の部将。半三とも書く。石見守,名は正成(まさなり)。父保長(石見守),子の正就(まさなり)(石見守)・正重(伊豆守)兄弟も半蔵(半三)を通称とする。服部氏は伊賀を本国とし,保長のときに三河国に至り徳川(松平)氏の家臣となった。正成は家康に仕え,16歳の初陣以来終始部将として出陣し戦功があった。8000石を知行し,1590年(天正18)徳川氏の関東入国ののち,与力30騎,伊賀同心200人を支配した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

服部半蔵
はっとりはんぞう
(1542―1596)

徳川家康の部将。名は正成(まさなり)、石見守(いわみのかみ)。伊賀者(いがもの)を統率して活躍し、鬼半蔵(おにはんぞう)の異名で恐れられた。父の保長(やすなが)は伊賀国(三重県)阿拝(あへ)郡服部郷(はっとりごう)の出身で、初め将軍足利義晴(あしかがよしはる)に仕えたが、のち三河国(愛知県)に来(きた)り、松平清康(きよやす)・広忠(ひろただ)(家康の父)・家康に歴仕し、三河で没した。半蔵正成は保長の五男で三河に生まれ、16歳のとき三河の宇土(うど)城の夜討ちに初陣し、伊賀の忍びの者60~70人を率いて城内に潜入し、武功をたて家康の持槍(もちやり)(長さ7寸8分)を拝賜したのをはじめ、姉川(あねがわ)、高天神(たかてんじん)、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いなど、諸所において目覚ましい働きをみせた。とくに1582年(天正10)本能寺の変に際しては、おりから泉州堺(せんしゅうさかい)に滞在中の家康を護衛して、伊賀の加太(かぶと)峠越えに、無事三河へ帰還させた。これらの功によって物頭(ものがしら)に進み、遠州(静岡県)に8000石を領し、家康の関東入国後は、江戸城麹町口(こうじまちぐち)門(俗に半蔵門とよぶ)外に組屋敷(くみやしき)を拝領した。[渡邉一郎]

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