日本歴史地名大系 「巻村」の解説
巻村
くずまきむら
建武二年(一三三五)九月六日の南部又次郎(師行)宛北畠顕家御教書(盛岡南部文書)に「葛巻村」とみえる。当村は彦三郎(横溝祐貞)に与えられたが、横溝孫六重頼がこの土地はもと横溝六郎三郎入道(浄円)の所領「中里村」であり、没収されて伊達彦五郎(善恵か)に与えられたが、同氏が辞退したため重頼に与えられ、奉行人がこれを忘れて誤って彦三郎に与えてしまったものであると訴えた。陸奥国衙では彦三郎の提出した文書には「葛巻村」、重頼の訴状には「中里村」とみえる村名の食違いを疑問としながらも重頼の訴えに基づき、彦三郎には替地を与えることとし、南部師行に引渡しを命じている。しかし、同年二月二一日に横溝彦三郎が下文のとおりに引渡しをうけたのは「糠部郡南門内横溝弥五郎入道跡」で(「北畠顕家国宣」遠野南部文書)、村名の記載がないので確証はないが、両村はまったく別の村と考えられる。
巻村
かずらまきむら
巻村
まきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報