日本歴史地名大系 「市場新田」の解説 市場新田いちばしんでん 埼玉県:入間郡毛呂山町市場新田[現在地名]毛呂山町市場市場村の北、越辺(おつぺ)川・葛(くず)川・高麗(こま)川に挟まれた台地上に立地。享保年中(一七一六―三六)幕府代官川崎平右衛門の指導により市場村の北の原野を、同村名主をはじめとして村民が開発したもので畑のみであった。明和九年(一七七二)検地が行われたが、本村との境界は錯綜しており(風土記稿)、公的には市場村に含まれた。幕末の改革組合取調書では市場村に含まれ、幕府領で高四一石余、家数九。その後旗本石黒領となる。 市場新田(保々新田)いちばしんでん(ほぼしんでん) 三重県:四日市市北部地区市場新田(保々新田)[現在地名]四日市市西村(にしむら)町・市場町朝明(あさけ)川の南岸、西村の南方と考えられる。この地域は朝明川の氾濫原で、開発・川成・再開発が繰返された。慶安郷帳(明大刑博蔵)にはみえず、元禄郷帳に八五九・八二一石として出、天保郷帳にはない。開発後、その大半が西村に、一部が市場村に吸収されたと考えられる。宝永八年(一七一一)の保々新田指出帳(徳川林政史蔵)による石高は六五二・八二二石。このうち田方は三八二石余、三五町七反余。ただし、そのうち二九九石余、二七町五反余は「先規より永荒年々川成砂入」で年貢地はわずかに八・一町余、石高八三石余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by