デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「布袋屋梅之丞」の解説
布袋屋梅之丞(4代) ほていや-うめのじょう
3代布袋屋梅之丞の親族で,寛保(かんぽう)元年(1741)それまで休座していた布袋屋座の名代と家督をつぎ4代を襲名した。寛延2年以後の活動は不明。通称は作兵衛。なお以降の座主は未詳だが,布袋屋座は明治39年までつづき,松竹に売却されて南座と改称された。
布袋屋梅之丞(初代) ほていや-うめのじょう
元禄(げんろく)7年(1694)京都の早雲長太夫から歌舞伎物真似名代(興行権の名義人)をゆずりうける。名義変更がゆるされて布袋屋座の初代となり,京都の四条南側で興行した。都万太夫(みやこ-まんだゆう)らとともに元禄期の代表的名代。京都出身。
布袋屋梅之丞(2代) ほていや-うめのじょう
初代布袋屋梅之丞の親族で,初代の晩年に布袋屋座の名代と家督をつぎ2代目を襲名した。宝永7-享保(きょうほう)2年(1710-17)座主をつとめた。京都出身。前名は三文字屋新六。
布袋屋梅之丞(3代) ほていや-うめのじょう
2代布袋屋梅之丞の子。父の病死後,享保(きょうほう)2年(1717)ごろ布袋屋座の名代と家督をついで3代を襲名し,9年まで座主をつとめた。前名は三文字屋金十郎。