デジタル大辞泉
「名代」の意味・読み・例文・類語
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みょう‐だいミャウ‥【名代】
- 〘 名詞 〙
- ① 人の代わりに立つこと。代理を務めること。また、その人。身がわり。代人。
- [初出の実例]「昔天平十年五月辛卯、右大臣正三位橘宿禰諸兄、神祇伯従四位下中臣朝臣名代」(出典:中右記‐長治二年(1105)八月一三日)
- 「身共がみゃうだいに、わごりょがいてはたひてくれさしめ」(出典:虎明本狂言・乳切木(室町末‐近世初))
- ② =みょうだいかとく(名代家督)
- [初出の実例]「それかし一世の後は、五人の者共たんがうせしめ、おうゑのきをもんて、みゃうたいをたてべく候」(出典:上杉家文書‐永正一七年(1520)一〇月九日・毛利広春置文案)
- ③ 後見人。うしろみ。
- [初出の実例]「長教の子息いまだ幼稚なればとて安見美作守を遊佐名代に河内守護代に定めらるる」(出典:足利季世記(1487‐1569頃)勝軍地蔵軍記)
- ④ 江戸吉原で、女郎に二人以上の客が重なった時、一方の客に新造が代理で出ること。また、その新造。
- [初出の実例]「名代を口説き落せば敵の声」(出典:雑俳・口よせ草(1736))
- ⑤ 「みょうだいざしき(名代座敷)」の略。
- [初出の実例]「軈て下座敷の名代を廻って、再び裏梯子を上って来ると」(出典:夢の女(1903)〈永井荷風〉一〇)
な‐だい【名代】
- 〘 名詞 〙
- ① 標示する名。名目としてかかげる名。名義。
- [初出の実例]「大坂に世帯持といふは太鞁を名(ナ)代にして内証は我まましてのたのしみ」(出典:浮世草子・色里三所世帯(1688)中)
- ② ( 形動 ) 名に伴う評判。また、名高いことやそのさま。著名。高名。なうて。そうした品物や店をもいう。
- [初出の実例]「男も名代(ナダイ)の者は、たとへ恋はすがるとてもせぬ事ぞかし」(出典:浮世草子・好色二代男(1684)八)
- ③ 江戸時代の興行で、奉行所から許可を得た興行権の所有者。江戸では、劇場主・興行責任者と一致したのでこの名称は用いられず、京坂地方でもっぱら使われた。
- [初出の実例]「太夫元の名代もつぶれける」(出典:談義本・根無草(1763‐69)前)
- ④ 江戸時代、大坂で、各藩の蔵屋敷の名義上の持ち主をいう。当時は、松山・津の両藩のほかは、大坂三郷内に屋敷を持つことが許可されていなかったので、商人から借家をして蔵屋敷とし、蔵役人を置いた。その蔵役人を代表する名義人を名代といった。
- [初出の実例]「名代用聞廻船并荷物所持之者、名前書付可指出之事」(出典:御触帳‐宝暦五年(1755)一二月二三日)
な‐しろ【名代】
- 〘 名詞 〙 令制前の王族の私有民。諸国の国造の民を割きとり、これに宮号を冠して名代の民として、宮へ貢納・上番した。白髪部・小泊瀬部・蝮部(たじひべ)など。→みなしろ(御名代)。〔書言字考節用集(1717)〕
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名代 (みょうだい)
本来〈名代〉は代人あるいは現代法律用語にいう代理人という意味であった。例えば《吾妻鏡》巻二,養和1年(1181)閏2月28日条に,〈宗政は朝政の名代として,一族および今度合力の輩を相率いて,鎌倉に参上す〉とある。また《双林寺伝記》に,〈此節憲景は脳病により嫡子孫九郎憲春を名代として,小田原において武功を尽す〉,また,《公方両将記》上に,〈国々ノ大名高家,皆使者ヲ以テ名代トシ云々〉とある。
次に,中世の史料では家督を指して〈名代〉と呼び,家督相続を〈名代相続〉とも呼んでいた。これは父祖の地位を継承してその代位者となることを意味していた。おそらく子息を名代として,隠居する場合が多かったことにより,このように呼ばれたものであろう。
第3の意味は武家封建時代の幼年者後見において,後見がその当主に代わってその被官所従と領分とを支配することがあるため,一名これを〈名代〉と呼んでいた。もし,被後見人が家士である場合には,この名代は被後見人に代わって主家に対して封建的勤務,ことに軍役を勤仕する。ゆえに陣代,もしくは番代とも呼ばれていた。例えば1538年(天文7)6月11日近江国今井家の一族10人が連署して,その家臣島氏に当主今井定清の後見を委託した文書に,〈定清(幼名尺夜刃)殿御幼少之儀,十五秋迄御名代として諸事御異見有るべく候〉とある。
最後に,中世末期の中継相続人を意味する場合である。《江北記》に,〈環山寺殿(高清)は御幼少の間,遍照寺の御名代を持せられ候〉とあるのがそれで,佐々木氏の勝秀,政経,政光,高清の4人は兄弟であって政光は黒田家養子であったが,兄政経が死んで末弟高清が幼少であったため,黒田家より来て中継家督となり,これを名代と称した。しかしこの場合先の名代家督と,封建的後見人としての名代と事実上区別しがたい。
執筆者:辻本 弘明
名代 (なだい)
江戸時代,歌舞伎,人形浄瑠璃などの興行権を所有した名義人。櫓主(やぐらぬし)ともいう。これらの興行では,その創始期に公儀へ願い出て許可を得た者の名義が登録され,以後この名義で櫓を上げ興行することができた。京では1669年(寛文9)に都万太夫,早蜘長吉,亀屋粂之丞ら7人が,また大坂では1652年(承応1)に藍屋九郎右衛門,大坂太左衛門,松本名左衛門らに櫓が許され,〈名代〉となったと伝えられる。江戸では〈座元(ざもと)〉と呼ばれ世襲されたが,京坂では名代の売買譲渡が行われたため,たとえば,名代は大和屋甚兵衛であっても,実際は別人が興行権を継承している場合が多くあり,この継承者を〈名代主〉と称して名代とは区別した。
→櫓
執筆者:青木 繁
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名代
なしろ
大化改新前の天皇,皇后,皇子の名をつけた皇室の私有民。5~6世紀に,多く東国に設置されたものらしい。下総の孔王部 (あなほべ) などがその一例である。このほかに,藤原部,蝮 (たじひ) 部,白髪部などがみられる。地方の村落が,そのまま名代となったものが多く,それぞれの首長によって統率され,その首長は,中央の伴造 (とものみやつこ) によって管理されていた。このほかに,檜前 (ひのくま) 舎人部,白髪靫負 (ゆげい) 部などのように,国造などの一族のものが上番して,宮廷の警備などにあたる者もあった。このような名代の民は,大化改新以後は公民に編成された。 (→子代 )
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名代【なしろ】
大化前代の皇室私有民。天皇・皇后・皇子らの御名(みな)(王名や宮号)を負う。伝承では御名を伝えるために設置された部民(べみん)。御名代部(みなしろべ)。子代(こしろ)との区別は明らかでない。
→関連項目部
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世界大百科事典(旧版)内の名代の言及
【歌舞伎】より
… これに比して上方の場合は非常に特色があった。まず〈[名代](なだい)〉という者の存在である。〈名代〉は興行権の所有者である。…
【興行】より
…不入りのために膨大な借金を抱え,江戸三座の座元が窮地に陥ったときの救済策として,北町奉行は1734年(享保19)8月から,他の座元が興行を代行する〈控櫓(ひかえやぐら)(仮櫓)〉の制度を設けた。上方の興行機構は江戸と異なり,興行権の所有者を〈名代(なだい)〉,劇場の持主を〈芝居主〉,興行師でしかも芸の実力と人気を兼備した役者や太夫を〈座本(ざもと)〉(江戸時代中期以降は〈[仕打](しうち)〉が職掌として代行)とよび,この3者が提携して興行主体を構成した。なお江戸でいう金主・金方(きんかた)を上方では銀主(ぎんしゆ)・銀方(ぎんかた)といい,興行上の収益も損害も,分散させて処理していく分業システムが採用されていた。…
【座元(座本)】より
…なお,上方には〈座本〉といわれるものがある。江戸と性格が異なり,興行権の所有者〈[名代](なだい)〉と,座頭役者(のちには名義ばかりのものになった)で興行師を兼ねた座本(のちにその職掌は[仕打](しうち)が代行)とは区別されていた。劇場の所有者を〈芝居主〉と呼び,この3者で興行主体を形づくった。…
【蔵屋敷】より
…蔵屋敷を通じて販売される諸品を総称して蔵物(くらもの)と呼ぶが,その中心は貢租米であり,特産品としては砂糖,藍玉,紙,畳表などがあった。通常,蔵屋敷には蔵役人,名代(みようだい),[蔵元],[掛屋],用聞(ようきき),用達(ようたし)と呼ばれる構成員がいた。蔵役人は領主から派遣された蔵屋敷の元締めたる武士であり,その重職を留守居といった。…
※「名代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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