布袋村(読み)ほていむら

日本歴史地名大系 「布袋村」の解説

布袋村
ほていむら

[現在地名]河原町布袋、鳥取市西円通寺にしえんつうじ

北流する千代川西岸にあり、対岸稲常いなつね村、北は高草たかくさ赤子田あこだ(現鳥取市)智頭ちず街道は北東対岸の八上やかみ円通寺村(現同上)からしもの渡を越えて村内に入り、千代川沿いの胡摩ごま土手沿いに袋河原ふくろがわら村へ南下する道と、西進して集落に入り、赤子田村からの道と合流して袋河原村へ南下する道があった。慶長年間(一五九六―一六一五)鹿野しかの(現鹿野町)城主亀井茲矩が鳥取城主池田長吉との間で袋河原村と高草郡賀露かろ(現鳥取市)を交換した際に開かれた新田という(因幡民談記)一説に当村はもと千代川東岸の稲常村北方にあり坂戸さかと村と称したが、天文年間(一五三二―五五)の洪水により対岸に移転し中島村となった。慶長年間に亀井茲矩の江戸参府の際の宿役を命じられ、さらに西側の現在地に移転し、布袋と改称したともいう(初稿八頭郡誌)。慶長一〇年の気多郡高草郡郷帳では高草郡のうちとして亀井茲矩領の「布袋・長瀬・一木・引田・中島」が記され、高一千四六石余、田八〇町八反余・圃三一町五反余、物成八三八石。


布袋村
ほていむら

[現在地名]福野町布袋

小矢部おやべ川と大井おおい川の中間にあり、南東下吉江しもよしえ村。元和五年(一六一九)の家高新帳に「ほてい」とみえ、役家数三。正保郷帳では高二六一石余、田方一七町三反余・畑方一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一九八石、免四ツ八歩、小物成は山役二〇匁(三箇国高物成帳)。天保一〇年(一八三九)まで高の変化はない(「高物成帳」菊池家文書)。所属組は広安ひろやす村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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