常信寺(読み)じようしんじ

日本歴史地名大系 「常信寺」の解説

常信寺
じようしんじ

[現在地名]大津市大石富川町

信楽しがらき川沿いに立地する。法音山釈尊院と号し、江戸時代までは真言宗だったが、明治六年(一八七三)天台宗改宗本尊は木造釈迦如来坐像、脇侍に木造騎獅文殊坐像・同騎象普賢坐像の二尊を伴い、三尊とも定朝様の作風を残した平安末期の作といわれ、国指定重要文化財。ほかに鎌倉後期の木造地蔵菩薩立像が安置されているが、安永七年(一七七八)の富川村明細帳(佐々木文書)には本尊地蔵は木仏立像一尺九寸七分とあり、地蔵立像を本尊としている。


常信寺
じようしんじ

[現在地名]佐井村佐井 古佐井

古佐井こざいの通称谷地やち町通の北に位置する。大法山と号し、法華宗本流派。本尊は曼陀羅。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「常信寺 大法山田名部善宗寺末寺、法花」とある。


常信寺
じようしんじ

[現在地名]松山市祝谷東町

背に小丘を負い、境内および付近に桜樹が植えられ、景勝の地を占める。祝谷山と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来。「伊予古蹟志」によると、もと弘真院さらに勝山寺といい真言宗に属したが、慶安年間(一六四八―五二)に松山藩主松平定行がこの地に移して、天台門日光山の支院として、山頂に神祖廟を建てさせた(予陽郡郷俚諺集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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