常盤町二丁目
ときわちようにちようめ
[現在地名]中央区京橋二―三丁目
常盤町一丁目の東にあり、北は因幡町、南は柳町、東は本材木町七丁目。江戸時代前期には因幡町と炭町(のち柳町)に挟まれた楓川から西へ入り込む堀の敷地で(承応江戸絵図など)、元禄三年(一六九〇)にこの入堀の残されていた東半部分が埋立てられ、町立てされた(沿革図書)。享保年中江戸絵図に常盤町とみえる。
常盤町二丁目
ときわまちにちようめ
[現在地名]東区常盤町一丁目
善安筋を境に常盤町一丁目の西に延びる両側町。山城伏見から移った町で、もと伏見立売町二丁目と称したが、延宝八年(一六八〇)通称をとって常盤町二丁目と改称した(大坂町之内町名替り候写、文政八年「水帳」大阪商業大学蔵)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一七・役数一九役で、うち年寄分一役が無役。
常盤町二丁目
ときわちようにちようめ
[現在地名]江東区常盤二丁目
小名木川北岸の町屋。深川常盤町二丁目とも称した。起立は一丁目に同じ。北と南は常盤一丁目に挟まれ、西は遠江浜松藩井上家中屋敷、東は同掛川藩太田家下屋敷。文政町方書上によれば町内総間数は田舎間で五五間余、東西間口・裏幅とも五五間余、南北は裏行が二一間余、一千一九一坪。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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