常磐津若太夫(読み)トキワヅ ワカタユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「常磐津若太夫」の解説

常磐津 若太夫(4代目)
トキワヅ ワカタユウ


職業
常磐津節太夫

別名
前名=常磐津 佐和太夫,菊菱 和佐太夫,後名=常磐津 若翁

生年月日
文化12年

経歴
3代目常磐津若太夫に師事。万延元年(1860年)常磐津と岸沢確執両派が分離した際は岸沢に属し、菊菱和佐太夫に改名したこともあった。明治13年4代目若太夫を襲名したが、数年後には若翁を名乗る。28年引退。人気をねたまれて水銀を飲まされ、難声になったが、なお繊細な語り口を保った。

没年月日
明治32年 1月22日 (1899年)

家族
長女=宝集家 金之助,長男=錦城斎 一山


常磐津 若太夫(6代目)
トキワヅ ワカタユウ


職業
常磐津節太夫

本名
伊藤 慶次郎

生年月日
明治5年

経歴
4代目若太夫の孫。明治32年3代小和佐太夫、のち小和歌、若喜を経て44年12月6代目和歌太夫を襲名した。7代目は6代目の甥萩原喜久太郎が継いだ。

没年月日
大正9年 (1920年)


常磐津 若太夫(5代目)
トキワヅ ワカタユウ


職業
常磐津節太夫

本名
萩原 熊次郎

経歴
4代目若太夫の妹の子。2代目小和佐太夫を経て明治22年菊太夫、28年喜久太夫となった。

没年月日
(生没年不詳)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常磐津若太夫」の解説

常磐津若太夫(4代) ときわず-わかたゆう

1816-1899 幕末-明治時代浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化13年生まれ。常磐津節。常磐津文字佐喜,3代若太夫にまなび,和佐太夫(初代)を名のる。万延元年常磐津から分離した5代岸沢式佐にしたがう。明治13年4代若太夫を襲名,のち若翁(じゃくおう)と称した。明治32年1月22日死去。84歳。江戸出身。

常磐津若太夫(3代) ときわず-わかたゆう

?-1840* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
常磐津節三味線方の3代岸沢式佐の弟子。常磐津和歌太夫をへて天保(てんぽう)3年3代若太夫を名のる。定紋が菊菱(きくびし)であることから菊菱派と称された。天保10年12月6日死去。通称露月町

常磐津若太夫(6代) ときわず-わかたゆう

1872-1920 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治5年生まれ。常磐津節の4代常磐津若太夫の孫。3代小和佐太夫,小和歌太夫,若喜太夫をへて明治44年6代を襲名した。大正9年死去。49歳。本名は伊藤慶次郎。

常磐津若太夫(5代) ときわず-わかたゆう

?-? 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
常磐津節の4代常磐津若太夫の妹の子。2代小和佐太夫,菊太夫をへて明治28年(1895)喜久太夫となり,その後5代を襲名した。本名は萩原熊次郎。

常磐津若太夫(2代) ときわず-わかたゆう

船遊亭扇橋(せんゆうてい-せんきょう)(初代)

常磐津若太夫(初代) ときわず-わかたゆう

富士岡若太夫(ふじおか-わかだゆう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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