幕別村
まくべつむら
[現在地名]中川郡幕別町本町・錦町・寿町・宝町・南町・字軍岡・字猿別・字南勢・字五位・字糠内・字中里・字駒畠・字弘和・字美川・字明倫・字新和・字大豊、河西郡更別村字更別・字弘和・字勢尾
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三九年(一九〇六)まで存続した中川郡の村。十勝川南岸に位置し、北流して同川に合流する猿別川とその支流(茂発谷川・糠内川など)の流域に広がる。北部は止若村・咾別村、西および南は白人村、東は豊頃村に接する。近世はトカチ場所のうち。明治初年、「戊午日誌」(登加智留宇知之誌)などにみえる「マクンヘツ」などの地を包含して成立したとみられる。同四年の駿河静岡藩支配下での戸口はアイヌ三戸・三三人、うち男二〇・女一三(蝦夷の灯)。「十勝国地誌提要」にはマカンヘツ村とあり、同六年のアイヌの戸数四・人口三五(男二二・女一三)。同九年の大小区画沿革表には「幕別村」と表記される。
幕別村
まくべつむら
明治三九年(一九〇六)から昭和二一年(一九四六)まで存続した中川郡の村。明治三九年四月に同郡幕別村・止若村・咾別村・白人村・別奴村が合併、二級町村制を施行して成立した。同年末の現住戸数一千三八五・人口五千八一八(男三千一〇七・女二千七一一)、本籍人数は四千七七二人(道戸口表)。同四一年以降未開地が売却されて移民が入植し、畑作中心(大豆・小豆・菜豆・麦類・馬鈴薯を主作物とし、一部稲作と牧畜)の農村が形成されていった。北部を東西に横断して敷設されていた官設鉄道釧路線(現JR根室本線)には同四三年一月札内停車場が開業、すでに開業していた止若停車場(現幕別駅)ともども周囲に市街地が形成された。
幕別村
まくべつむら
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治四二年(一九〇九)までの村。静内郡の西部に位置し、南西は市父村に、北東は農家村に接し、東は静内川(染退川)に臨む。村の大部分が新冠牧場(御料牧場)に取込まれ、平地はわずかに静内川河畔にあるのみであった(「状況報文」など)。近世はマクンヘツ(マクンベツ)、マクンベツフト(「戊午日誌」志毘茶利誌など)とよばれた地などからなっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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