平山成信(読み)ヒラヤマ ナリノブ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「平山成信」の解説

平山 成信
ヒラヤマ ナリノブ


肩書
枢密顧問官,貴院議員(勅選),日本赤十字社長

生年月日
安政1年11月6日(1854年)

出生地
江戸

経歴
明治4年左院に出任、権少書記、五等書記生となり、6年ウィーン万国博覧会事務官として出張。帰国後正院に出任、大蔵省書記官、元老院権大書記官などを経て、24年第1次松方正義内閣書記官長。以後枢密院書記官長、大蔵省官房長、宮中顧問官、行政裁判所評定官、27年勅選貴院議員、のち枢密顧問官を歴任。また帝国女専、日本高女、静修女学校などの校長を務め、一方日本赤十字社創立以来理事、次いで社長となる。産業協会、帝展創設尽力、また啓明会会長として学術振興に貢献した。大正13年男爵

受賞
正二位勲一等

没年月日
昭和4年9月25日

家族
父=平山 省斎(開明派幕臣)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「平山成信」の解説

平山 成信
ヒラヤマ ナリノブ

明治・大正期の官僚,男爵 枢密顧問官;貴院議員(勅選);日本赤十字社社長。



生年
嘉永7年11月6日(1854年)

没年
昭和4(1929)年9月25日

出生地
江戸

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
明治4年左院に出任、権少書記、五等書記生となり、6年ウィーン万国博覧会事務官として出張。帰国後正院に出任、大蔵省書記官、元老院権大書記官などを経て、24年第一次松方内閣書記官長。以後枢密院書記官長、大蔵省官房長、宮中顧問官、行政裁判所評定官、枢密顧問官を歴任。この間、27年より勅選貴院議員。また帝国女専、日本高女、静修女学校などの校長を務め、一方、日本赤十字社創立以来理事、次いで社長となる。産業協会、帝展の創設に尽力、また啓明会会長として学術振興に貢献した。大正13年男爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平山成信」の解説

平山成信 ひらやま-なりのぶ

1854-1929 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)7年11月6日生まれ。平山省斎養子。第1次松方内閣の書記官長,枢密院書記官長,大蔵省官房長などを歴任。帝国女子専門学校(現相模女子大)校長,日本赤十字社社長をつとめる。帝展の創設につくした。貴族院議員,枢密顧問官。昭和4年9月25日死去。76歳。江戸出身。本姓竹村

平山成信 ひらやま-しげのぶ

ひらやま-なりのぶ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平山成信」の解説

平山 成信 (ひらやま なりのぶ)

生年月日:1854年11月6日
明治時代;大正時代の官吏。日本赤十字社社長;貴族院議員;男爵
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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