平山蘆江(読み)ヒラヤマ ロコウ

20世紀日本人名事典 「平山蘆江」の解説

平山 蘆江
ヒラヤマ ロコウ

大正・昭和期の小説家,随筆家



生年
明治15(1882)年11月15日

没年
昭和28(1953)年4月18日

出生地
兵庫県神戸市

本名
平山 壮太郎

学歴〔年〕
東京府立四中中退

経歴
明治40年都新聞社(現・東京新聞社)に入社。演芸欄の担当記者として活躍するかたわら、作家として、大正14年には直木三十五、長谷川伸らと第一次「大衆文芸」を創刊、大衆文芸開拓へのきっかけとなった。昭和5年都新聞社を退社し、作家活動に専念。代表作品に「西南戦争」「唐人船」などがある。また都々逸の洒脱さを好み、東京神田で都々逸学校を開くなど、その発展のために尽力したことでも知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平山蘆江」の意味・わかりやすい解説

平山蘆江
ひらやまろこう
(1882―1953)

小説家、随筆家。神戸に生まれる。本名壮太郎。実父田中正二は旧薩摩(さつま)藩船御用さつま屋7世。実父没後、長崎の酒屋平山家に入った。東京府立四中(現戸山高校)を中退、満州(中国東北部)で新聞記者を勤めたのち帰国し、『都新聞』『読売新聞』の花柳(かりゅう)演芸記事を担当、花柳ものを得意とした。1926年(大正15)長谷川伸(はせがわしん)らとともに第一次『大衆文芸』を創刊。31年(昭和6)に第二次『大衆文芸』を刊行。大衆文芸の振興に活躍した。小説『唐人船』(1926~27)、『西南戦争』(1926)などのほかに、随筆、また都々逸(どどいつ)、小唄(こうた)の作詞にも数多くの作品がある。

武蔵野次郎

『『大衆文学大系5 平山蘆江他集』(1971・講談社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平山蘆江」の解説

平山蘆江 ひらやま-ろこう

1882-1953 大正-昭和時代の小説家。
明治15年11月15日生まれ。「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当。大正15年長谷川伸らと第1次「大衆文芸」を創刊(昭和6年の第2次は単独発刊)。都々逸(どどいつ),小唄(こうた)の作詞もした。昭和28年4月18日死去。70歳。兵庫県出身。東京府立四中(現戸山高)中退。旧姓は田中。本名は壮太郎。作品に「唐人船」「西南戦争」など。

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