日本歴史地名大系 「平浜八幡宮」の解説 平浜八幡宮ひらはまはちまんぐう 島根県:松江市旧意宇郡地区八幡村平浜八幡宮[現在地名]松江市八幡町国道九号南側の御笠(みかさ)山に鎮座する。主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。旧県社。境内社の武内(たけうち)神社が古くから信仰を集めるため、武内さんとも称される。国道九号の北側には中世から平浜八幡宮社役之寺の一つであった高野山真言宗迎接(こうじよう)寺がある。当社の創建時期は不明だが、山城石清水(いわしみず)八幡宮の分霊を勧請し、中世の史料には平浜別宮としても登場する。天永二年(一一一一)六月二五日の賀茂家栄日時勘文(石清水文書)によれば、「八幡平浜別宮」の遷宮日時は「七月廿八日己丑 時戌」と記されるが、石清水八幡宮の別宮としての成立は一一世紀末頃と考えられる。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(同文書)に宮寺領の出雲国八別宮の一つとして「枚浜別宮」とみえ、元暦二年(一一八五)正月九日には八幡宮寺領として安堵されている(「源頼朝下文案」同文書)。建永元年(一二〇六)八月日の預所下文(青木家文書)からは、平浜別宮惣検校高義と八幡(やわた)庄の下司秀信との間に相論があったことが知られる。当社は石清水八幡宮の支配を受けていたが、出雲府中(いずもふちゆう)地域に隣接していたため、国衙の影響下にも置かれていた。嘉禄二年(一二二六)四月には竹矢(ちくや)郷内の一町三段が「四季経定」として平浜別宮に寄進されているが、これは先例のないことで、国衙からの要請に基づき国衙在庁官人も参加して四季仁王大般若経転読を行っている(「出雲国司目代寄進状」青木家文書)。天福元年(一二三三)一〇月には平浜八幡宮の惣検校紀義季が紀忠氏に当知行の所領六町小と畠一〇ヵ所を譲っている(「紀義季譲状」同文書)。正嘉二年(一二五八)一〇月一五日に平浜八幡宮領の八幡庄代官職に平浜別宮惣検校が補任されている(「郷司某下文」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by