日本歴史地名大系 「平群郷」の解説 平群郷へぐりごう 福岡県:筑前国早良郡平群郷「和名抄」諸本のうち名博本は「平郡」に作るが、高山寺本・伊勢本・東急本の「平群」に従い、伊勢本・東急本・元和古活字本の訓「倍久利」から「へぐり」と読む。郷名は中世の戸栗(へぐり)、近世から現在の戸切(とぎり)(現在はトギレ)に継承された。「続風土記」は現在の福岡市西区飯盛(いいもり)付近を「戸栗郷」と書くとしており、現在の西区飯盛・羽根戸(はねど)・戸切付近に比定することができる。 平群郷へぐりごう 宮崎県:日向国児湯郡平群郷「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・元和古活字本に「平群」、伊勢本・名博本・東急本に「平郡」と記され、諸本とも訓を欠く。現在の地名との一致から現西都市平郡(へごおり)を中心とする地域に比定できる。その名義に関して、「太宰管内志」は平群姓の人が居住したことに由来するとする。 平群郷へぐりごう 奈良県:大和国平群郡平群郷「和名抄」刊本に「平群」、高山寺本に「平郡」とみえ、ともに「倍久利」と訓ずる。天平二年(七三〇)の大般若波羅蜜多経巻五一一跋語(佐佐木信綱蔵)に「平群郷」、「聖徳太子伝暦」に「平群里」とあり、「大和志」は「今曰平群谷」と記し、平群川(竜田川)周辺と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by