朝日日本歴史人物事典 「平致頼」の解説
平致頼
生年:生年不詳
平安中期の武将。平五大夫と称す。父は良兼の子で武蔵守の公雅。備中掾などを歴任し,伊勢国(三重県)に勢力を張り,長徳4(998)年所領をめぐって同族の平維衡と争い,従五位下の位階を奪われて隠岐(島根県)に流された。3年後に許されて本位に復す。『今昔物語集』によると天延2(974)年,祇園社と延暦寺とが本末をめぐって争ったとき,祇園社別当の良算に請われて父と共に傭兵となり郎等を率いて馳せ参じたという。『古事談』では,子の致経から「堅固な田舎人で大まかだ」といわれるほど無骨で礼儀知らずな武人として描かれている。一条天皇のとき天下一の武士に源満仲,平維衡と共に挙げられている。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報