平安中期の武将。源満仲の三男。母は陸奥守藤原致忠の娘(一説に大納言藤原元方の娘)。河内源氏の祖。摂関家に仕え藤原道長の近習としてその後援を受け武官,文官,諸国受領を歴任,兄頼光とともに〈謀の賢かりし〉人物といわれた。1028年(長元1)房総の地に平忠常の乱が起こり,当初検非違使(けびいし)平直方,中原成道が追討使として派遣されたが実があがらず,30年9月に召還され,代わって甲斐守頼信(62歳)と坂東諸国司が追討を命ぜられた。反乱長期化の中で房総地域は荒廃し,忠常側に疲弊の色が濃くなっていた事情もあって,頼信が房総に進攻すると翌31年4月忠常は出家して降伏を申し出た。戦闘を経ずに反乱を鎮圧したことは,結果的に頼信の武名を高めることとなり,東国に源氏の勢力を扶植する契機となった。以後源氏の中では三男ながら頼信の系統が〈武の家〉としての地位を確立することとなる。晩年河内守に任ぜられて,以後この系統は河内源氏と呼ばれた。石清水(いわしみず)八幡宮に願文(がんもん)を納め,八幡神を源氏の氏神として崇拝した。
執筆者:飯田 悠紀子
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平安中期の武将。清和(せいわ)源氏で満仲(みつなか)の三男。治部権少輔(じぶごんのしょうふ)、左馬権頭(さまごんのかみ)といった京官を経験するかたわら伊勢(いせ)、陸奥(むつ)、美濃(みの)、石見(いわみ)、上野(こうずけ)、常陸(ひたち)など諸国の受領(ずりょう)を歴任し、また鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になるなど武名をうたわれた。一方、京都では兄の頼光同様に摂関家に仕え、とくに藤原道長の覚えをよくした。1028年(長元1)上総介(かずさのすけ)平忠常(ただつね)の反乱に際しては、追討使平直方(なおかた)の功があがらないのにかわって甲斐守(かいのかみ)であった頼信を派遣したところ忠常は戦わずして降伏したという。頼信は河内(かわち)守を経験したのを契機として同国古市郡壺井(つぼい)の里(大阪府羽曳野(はびきの)市)に本拠を構え、河内源氏の祖となった。現在、通法寺(つうほうじ)跡の南東の丘陵のブドウ畑の中に頼信の墓がある。
[朧谷 寿]
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(朧谷寿)
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968~1048.9.1
平安中期の武将。河内源氏の祖。満仲の三男。母は藤原致忠(むねただ)(藤原元方とも)の女。従四位上。藤原氏とくに道長に接近し,上野介・上総介などの受領(ずりょう)を歴任。甲斐守在任中に平忠常の乱がおき,平直方らが追討に失敗したあとの追討使となる。頼信の進攻で忠常は戦わずに降伏,この功により美濃守に任じられた。乱の鎮圧で名声が高まり,東国の源氏勢力拡大のきっかけとなった。
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…室町時代には足利将軍がしばしば参宮し,織田信長,徳川家康も参詣した。また源頼信が1046年(永承1)に願文を納めてその加護を立願して以来,八幡神が源氏の氏神となり,頼義・義家父子をはじめとする源氏一族の活躍とともに各地に勧請されていった。鶴岡八幡宮はその好例である。…
…貞純親王流の清和源氏から出た一流で,〈武の家〉としての源氏の代表的家系。源満仲の第3子で河内国石川・古市地方に本拠地を有した源頼信を祖とする。頼信は1028年(長元1)に起こった平忠常の乱の鎮定に功をあげ,その嫡子頼義,嫡孫義家はそれぞれ前九年・後三年の両役で奥州に転戦して武名を高め,このいわゆる源家三代によって武勇の家の評価が定まった。…
…なお源満仲は969年(安和2)の安和の変において藤原氏のために暗躍して左大臣源高明(たかあきら)を失脚させたことがあり,以後,頼光・頼信らも藤原摂関家に臣従してその爪牙(そうが)となり,深い結びつきを続けたことも見逃せない。 源頼信は1028年(長元1)に始まった平忠常の乱に際し,甲斐守としてその追伐を命ぜられ,ほとんど戦わずに忠常を降伏させ,一躍その武名を関東に高めた。頼信の子頼義ははじめ相模守としてその威風は当国をおおったといわれるが,やがて陸奥の安倍頼時が51年(永承6)に叛乱を起こし,いわゆる前九年の役が勃発すると,頼義は陸奥守・鎮守府将軍に任じ,その嫡子義家とともに転戦し乱を鎮定した。…
…しかしこの系統は忠常と父の代から仇敵の関係にあったため,事態収拾の道が閉ざされ,房総半島一帯は荒廃に帰した。1030年5月,追討使直方は官符発給を求めたが政府はこれを拒否し,忠常出家の報が伝えられると,7月に直方の召喚を決定,9月に甲斐守源頼信が追討使に任命された。忠常は乱前に頼信に名簿(みようぶ)を進めてその従者となっており,頼信は追討使拝任後,任国下向の際に,忠常の子の法師を伴っていた。…
※「源頼信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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