源頼信(読み)ミナモトノヨリノブ

デジタル大辞泉 「源頼信」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐よりのぶ【源頼信】

[968~1048]平安中期の武将。満仲の三男。鎮守府将軍藤原道長に仕え、平忠常の乱を戦わずして鎮めて武名をあげた。

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精選版 日本国語大辞典 「源頼信」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐よりのぶ【源頼信】

  1. 平安中期の武将。満仲の子。伊勢・陸奥常陸などの国守を経て鎮守府将軍となる。藤原道長に仕え、平忠常の乱に戦わずして忠常を降伏させて武名を挙げた。河内国石川に住み、河内源氏の祖となる。安和元~永承三年(九六八‐一〇四八

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改訂新版 世界大百科事典 「源頼信」の意味・わかりやすい解説

源頼信 (みなもとのよりのぶ)
生没年:968-1048(安和1-永承3)

平安中期の武将。源満仲の三男。母は陸奥守藤原致忠の娘(一説に大納言藤原元方の娘)。河内源氏の祖。摂関家に仕え藤原道長の近習としてその後援を受け武官,文官,諸国受領歴任,兄頼光とともに〈謀の賢かりし〉人物といわれた。1028年(長元1)房総の地に平忠常の乱が起こり,当初検非違使(けびいし)平直方,中原成道が追討使として派遣されたが実があがらず,30年9月に召還され,代わって甲斐守頼信(62歳)と坂東諸国司が追討を命ぜられた。反乱長期化の中で房総地域は荒廃し,忠常側に疲弊の色が濃くなっていた事情もあって,頼信が房総に進攻すると翌31年4月忠常は出家して降伏を申し出た。戦闘を経ずに反乱を鎮圧したことは,結果的に頼信の武名を高めることとなり,東国に源氏の勢力を扶植する契機となった。以後源氏の中では三男ながら頼信の系統が〈武の家〉としての地位を確立することとなる。晩年河内守に任ぜられて,以後この系統は河内源氏と呼ばれた。石清水(いわしみず)八幡宮に願文(がんもん)を納め,八幡神を源氏の氏神として崇拝した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源頼信」の意味・わかりやすい解説

源頼信
みなもとのよりのぶ
(968―1048)

平安中期の武将。清和(せいわ)源氏で満仲(みつなか)の三男。治部権少輔(じぶごんのしょうふ)、左馬権頭(さまごんのかみ)といった京官を経験するかたわら伊勢(いせ)、陸奥(むつ)、美濃(みの)、石見(いわみ)、上野(こうずけ)、常陸(ひたち)など諸国の受領(ずりょう)を歴任し、また鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になるなど武名をうたわれた。一方、京都では兄の頼光同様に摂関家に仕え、とくに藤原道長の覚えをよくした。1028年(長元1)上総介(かずさのすけ)平忠常(ただつね)の反乱に際しては、追討使平直方(なおかた)の功があがらないのにかわって甲斐守(かいのかみ)であった頼信を派遣したところ忠常は戦わずして降伏したという。頼信は河内(かわち)守を経験したのを契機として同国古市郡壺井(つぼい)の里(大阪府羽曳野(はびきの)市)に本拠を構え、河内源氏の祖となった。現在、通法寺(つうほうじ)跡の南東の丘陵のブドウ畑の中に頼信の墓がある。

[朧谷 寿]

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百科事典マイペディア 「源頼信」の意味・わかりやすい解説

源頼信【みなもとのよりのぶ】

平安中期の武将。源満仲(みつなか)の子。河内源氏の祖。藤原道長の近習で諸国受領を歴任。平忠常の乱では戦闘を経ずに鎮圧して武名を上げ,〈武の家〉の地位を確立。晩年河内守となり,任国で勢力を扶植。→源氏
→関連項目源頼義

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源頼信」の意味・わかりやすい解説

源頼信
みなもとのよりのぶ

[生]安和1(968)
[没]永承3(1048).4.17.
平安時代末期の武士。満仲の子。初め藤原道兼 (道長の兄) に仕え,治部権少輔,左馬権頭を歴任。正暦1 (990) 年道兼を抜いて関白となった藤原道隆を殺そうとしたが,兄頼光にいさめられた。その後藤原道長に仕え,石見守,甲斐守となった。長元1 (1028) 年6月東国で前上総介平忠常が挙兵して上総国府を占領すると,検非違使平直方が追討使として派遣されたが効なく,同3年あらためて頼信が派遣されると,同4年忠常は頼信の威望に恐れて下り,乱は鎮定された。その後美濃守,河内守を歴任し河内を本拠とした。

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朝日日本歴史人物事典 「源頼信」の解説

源頼信

没年:永承3(1048)
生年:安和1(968)
平安中期の武将。清和源氏の一流河内源氏の祖。源満仲の3男。藤原道兼の家人となり,その死後は弟道長に仕えた。上野介(実質上の守)在任中,馬を献上したのを初例として,その臣従ぶりは兄頼光に劣らず,藤原実資をして「道長の近習」といわしめたほど。実資への贈答も怠りなく美濃守任官は彼の口添えによる。平忠常の乱(1028)では甲斐守として追討に成功,勇名を坂東一円にはせた。のちに東国に武家政権を樹立する頼朝は6代目の子孫に当たり,その足がかりは頼信のときにできた。鎮守府将軍も務めたが,河内守を契機に同国石川(羽曵野市)の地に勢力を培った。同地に墓がある。

(朧谷寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源頼信」の解説

源頼信 みなもとの-よりのぶ

968-1048 平安時代中期の武人。
安和(あんな)元年生まれ。源満仲の3男。兄頼光とおなじく藤原道長につかえ,甲斐(かい),美濃(みの),河内(かわち)などの国守を歴任。鎮守府将軍もつとめた。長元4年(1031)平忠常の乱をたたかわずして鎮圧,武名をあげて源氏の東国進出の基盤をつくった。河内源氏の祖。武人としての説話が「今昔物語集」にみえる。永承3年4月17日死去。81歳。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「源頼信」の解説

源頼信
みなもとのよりのぶ

968~1048.9.1

平安中期の武将。河内源氏の祖。満仲の三男。母は藤原致忠(むねただ)(藤原元方とも)の女。従四位上。藤原氏とくに道長に接近し,上野介・上総介などの受領(ずりょう)を歴任。甲斐守在任中に平忠常の乱がおき,平直方らが追討に失敗したあとの追討使となる。頼信の進攻で忠常は戦わずに降伏,この功により美濃守に任じられた。乱の鎮圧で名声が高まり,東国の源氏勢力拡大のきっかけとなった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「源頼信」の解説

源頼信
みなもとのよりのぶ

968〜1048
平安中期の受領・武将
満仲の3男。頼光の弟。各地の受領 (ずりよう) を歴任し,藤原道長に仕えた。甲斐守のとき戦わずして平忠常の乱(1028〜31)を鎮定。乱後,鎮守府将軍となり,源氏の東国進出の基礎をつくった。

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世界大百科事典(旧版)内の源頼信の言及

【石清水八幡宮】より

…室町時代には足利将軍がしばしば参宮し,織田信長,徳川家康も参詣した。また源頼信が1046年(永承1)に願文を納めてその加護を立願して以来,八幡神が源氏の氏神となり,頼義・義家父子をはじめとする源氏一族の活躍とともに各地に勧請されていった。鶴岡八幡宮はその好例である。…

【河内源氏】より

…貞純親王流の清和源氏から出た一流で,〈武の家〉としての源氏の代表的家系。源満仲の第3子で河内国石川・古市地方に本拠地を有した源頼信を祖とする。頼信は1028年(長元1)に起こった平忠常の乱の鎮定に功をあげ,その嫡子頼義,嫡孫義家はそれぞれ前九年・後三年の両役で奥州に転戦して武名を高め,このいわゆる源家三代によって武勇の家の評価が定まった。…

【清和源氏】より

…なお源満仲は969年(安和2)の安和の変において藤原氏のために暗躍して左大臣源高明(たかあきら)を失脚させたことがあり,以後,頼光・頼信らも藤原摂関家に臣従してその爪牙(そうが)となり,深い結びつきを続けたことも見逃せない。 源頼信は1028年(長元1)に始まった平忠常の乱に際し,甲斐守としてその追伐を命ぜられ,ほとんど戦わずに忠常を降伏させ,一躍その武名を関東に高めた。頼信の子頼義ははじめ相模守としてその威風は当国をおおったといわれるが,やがて陸奥の安倍頼時が51年(永承6)に叛乱を起こし,いわゆる前九年の役が勃発すると,頼義は陸奥守・鎮守府将軍に任じ,その嫡子義家とともに転戦し乱を鎮定した。…

【平忠常の乱】より

…しかしこの系統は忠常と父の代から仇敵の関係にあったため,事態収拾の道が閉ざされ,房総半島一帯は荒廃に帰した。1030年5月,追討使直方は官符発給を求めたが政府はこれを拒否し,忠常出家の報が伝えられると,7月に直方の召喚を決定,9月に甲斐守源頼信が追討使に任命された。忠常は乱前に頼信に名簿(みようぶ)を進めてその従者となっており,頼信は追討使拝任後,任国下向の際に,忠常の子の法師を伴っていた。…

※「源頼信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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