朝日日本歴史人物事典 「平貞能」の解説
平貞能
平安末期の武将,平氏の家人。家貞の子。清盛の「専一腹心者」とされ,政所家令を務める。筑前・肥後守など受領を歴任。保元の乱(1156),平治の乱(1159)にも参戦。源平争乱では侍大将として近江・美濃の追討に従事したのち,養和1(1181)年には肥後の菊池隆直らの反乱の鎮圧に当たり平定に成功した。寿永2(1183)年,九州の兵を率いて上洛したが,源(木曾)義仲の入京によって一門と共に西走(平家都落ち)。その際,貞能は一旦再入洛し平重盛の墓に詣でたという。さらに平氏一門の太宰府から屋島への脱出に従わず出家,平資盛と共に豊後の武士に捕らえられたともされる。文治1(1185)年に宇都宮朝綱を頼って源頼朝に降伏,助命され朝綱に預けられたが,その後の消息は不明。貞能は重盛やその子息たちと密接な関係を持ち,西走後の独自の行動も一門内で孤立した重盛の子の資盛らの立場と関係していた。<参考文献>上横手雅敬『平家物語の虚構と真実』,角田文衛『平家後抄』,西村隆「平氏家人表」(『日本史論叢』10輯)
(元木泰雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報