広岡郷(読み)ひろおかごう

日本歴史地名大系 「広岡郷」の解説

広岡郷
ひろおかごう

和名抄」諸本に訓はない。梶並かじなみたき両川の上流、那岐なぎ山麓の平原地を中心とする、現勝田郡奈義なぎ町広岡一帯が郷域と考えられる。平城宮跡出土木簡に「(表)美作国勝田郡広□郷米五斗」「(裏)□米子虫」があるが、これは当郷か当郡広野ひろの郷かのいずれかのものである。同じく「(表)□広岡郷庸米五斗」「(裏)□部酒人」がある。「和名抄」によれば武蔵国豊島としま郡、播磨佐用さよう郡に広岡郷があるが、「延喜式」主計寮によると庸米は武蔵にはなく、播磨・美作にあるので、この木簡は両国のいずれかのものであろう。


広岡郷
ひろおかごう

「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠く。「大日本地名辞書」は「頗広平の地」であることを根拠に、現板橋区板橋・赤塚あかつか、現練馬区練馬の辺りに比定している。板橋区域の平尾ひらおを遺称地とするかという。「風土記稿」はヒロヲと訓じ、現渋谷区広尾ひろおにあてているが、同地はかつての荏原えばら郡に入るので依拠しがたい。武蔵国国分寺瓦に「広瓦」と押印したものや、「広」とヘラ書したものが検出されている。「続日本紀」宝亀一一年(七八〇)五月一一日条に「武蔵国新羅郡人沙良真熊等二人賜姓広岡造」とあり、沙良真熊らに広岡造を賜姓したことがみえている。


広岡郷
ひろおかごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「播磨国風土記」にはみえない。現三日月みかづき町の広山ひろやまが当郷の後身かとする説(大日本地名辞書)や、もと「和名抄」で広岡郷の次にみえる速瀬はやせ郷の一部で、そのために風土記にみえず、のち独立して広岡郷となったとする説などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android