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康生 こうせいKang Sheng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

康生
こうせい
Kang Sheng

[生]光緒24(1898).山東
[没]1975.12.16. 北京
中国の政治家。上海大学卒業。在学中中国共産党に入党。 1920年代は上海で公開・秘密活動に従事。 33年7月にソ連へおもむき陳紹禹 (王明) とともにコミンテルン活動に従事,35年コミンテルン第7回大会に出席。 37年 11月に中国延安に戻り,以後党中央社会部長・情報部長としてスパイ摘発で辣腕をふるう。党七全大会 (1945.6.) で中央政治局員となる。 55年まで不遇な時代が続いたが 56年から政治活動を再開,特に反右派闘争以後左傾路線が強まるにつれ政治力を拡張していった。 62年9月に党中央書記処書記となり,ソ連共産党との論戦で活躍。文化大革命期には江青と結託,中央文化大革命小組の顧問として以後文化大革命を指導した。 69年4月の党九全大会では林彪報告を起草,党中央組織宣伝組長としてイデオロギーと組織部門を掌握した。十全大会 (73.8.) で党中央副主席となるが,75年に北京で病死。文化大革命批判に伴い 80年 10月 16日,林彪・「四人組」の核心人物として党から除名された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

康生
こうせい / カンション
(1903―1975)

中国の政治家。山東(さんとう/シャントン)省の大地主の家の出身。上海(シャンハイ)大学在学中、中国共産党に入党、のち長征に参加、1935年から1937年にかけてコミンテルン(共産主義インターナショナル)で活動、王明(陳紹禹(ちんしょうう/チェンシャオユー))とともに『インプレコール』誌上に筆陣を張った。延安(えんあん/イエンアン)に帰って党中央政治局員、中央党学校校長などにつき、整風運動、京劇改革などを指導した。1945年中央組織部長。中華人民共和国成立後、中央人民政府委員、山東省人民政府主席などを歴任。1956年第8回党大会で中央政治局候補委員、1959年ソ連21回党大会に中国共産党代表として出席。1962年中国共産党中央書記処書記、文化大革命の際は「中央文革小組」の顧問として江青(こうせい/チヤンチン)らとともに活躍、1969年の第9回党大会では政治局常務委員、1973年の第10回党大会では党副主席に昇進した。1975年に死去のあと、1976年に「四人組」が逮捕されるに及んでその指導者と目されるに至り、文化大革命の被害者が復権するにつれて康生への批判も強まっていった。1980年、党から死後追放された。[安藤彦太郎]

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