日本大百科全書(ニッポニカ) 「康生」の意味・わかりやすい解説
康生
こうせい / カンション
(1903―1975)
中国の政治家。山東(さんとう/シャントン)省の大地主の家の出身。上海(シャンハイ)大学在学中、中国共産党に入党、のち長征に参加、1935年から1937年にかけてコミンテルン(共産主義インターナショナル)で活動、王明(陳紹禹(ちんしょうう/チェンシャオユー))とともに『インプレコール』誌上に筆陣を張った。延安(えんあん/イエンアン)に帰って党中央政治局員、中央党学校校長などにつき、整風運動、京劇改革などを指導した。1945年中央組織部長。中華人民共和国成立後、中央人民政府委員、山東省人民政府主席などを歴任。1956年第8回党大会で中央政治局候補委員、1959年ソ連21回党大会に中国共産党代表として出席。1962年中国共産党中央書記処書記、文化大革命の際は「中央文革小組」の顧問として江青(こうせい/チヤンチン)らとともに活躍、1969年の第9回党大会では政治局常務委員、1973年の第10回党大会では党副主席に昇進した。1975年に死去のあと、1976年に「四人組」が逮捕されるに及んでその指導者と目されるに至り、文化大革命の被害者が復権するにつれて康生への批判も強まっていった。1980年、党から死後追放された。
[安藤彦太郎]