東山殿(読み)ヒガシヤマドノ

デジタル大辞泉 「東山殿」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐どの【東山殿】

足利義政東山造営した山荘。現在の銀閣寺
足利義政通称

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精選版 日本国語大辞典 「東山殿」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐どの【東山殿】

  1. [ 1 ] 足利義政のこと。将軍職を子義尚に譲って東山に隠居したところからいう。この称は生前からすでにあった。
    1. [初出の実例]「一大御所様御称号東山殿」(出典:親元日記‐文明一五年(1483)六月二〇日)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 古金襴。襴地。足利義政好みの切れであったところからの名。
    1. [初出の実例]「世に是を襴地と云。右の切世に東山殿と云」(出典:随筆・雅遊漫録(1755)四)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東山殿」の解説

東山殿
ひがしやまどの

15世紀末に京都の如意ケ嶽(にょいがたけ)西麓に造営された将軍足利義政の山荘。義政の死後遺言によりその菩提を弔うための寺院に改められ,慈照寺となった。1482年(文明14)義政の隠棲所として浄土寺寺域に造営を開始。83年に常御所(つねのごしょ)が完成し,義政が入居。85~88年に西指庵(せいしあん)・超然亭(ちょうねんてい)・浴室・持仏堂(東求堂(とうぐどう))・会所・泉殿・庭・船舎・竜背橋(りゅうはいきょう)などが順次完成。89年(延徳元)に観音殿(銀閣)上棟。義政は造営のために山城国に荘園をもつ領主に銭・人夫を要求したほか,幕府からも守護に出銭を命じ,諸国に賦課した段銭(たんせん)や,遣明船の収益をも投入した。90年の義政の死後も遺構は16世紀半ばまでほぼ存続したが,その後は多くが戦乱で喪失した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東山殿」の解説

東山殿 ひがしやまどの

足利義政(あしかが-よしまさ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東山殿」の意味・わかりやすい解説

東山殿
ひがしやまどの

足利義政」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の東山殿の言及

【足利義政】より

…京都での戦乱は77年(文明9)一応収まったが,戦乱はしだいに地方に広がり全国的規模となった。この間義政は1473年12月子義尚に将軍職を譲り,83年京都東山に山荘を営んでここに移り住み,東山殿と称された。85年月翁周鏡を戒師として剃髪,89年(延徳1)山荘内にいわゆる銀閣を建てた。…

【慈照寺】より

…通称銀閣寺,正式には東山慈照禅寺。1490年(延徳2),足利義政の菩提を弔うため,如意嶽のふもとに義政が営んだ東山殿(ひがしやまどの)(東山山荘)を禅寺に改めて開創された。世にいう東山文化を象徴する寺である。…

※「東山殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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