改訂新版 世界大百科事典 「建国記念日」の意味・わかりやすい解説
建国記念日 (けんこくきねんび)
現在世界に存在する独立国のうち,百十数ヵ国が建国記念日に相当する日をもっている。その中には単一の建国記念日を決められない国もあるが,各国の建国記念日の内容を見ると,その3分の2以上は旧植民地国の独立記念日となっており,共和国創立記念日や革命記念日がこれに次いでいる。いずれも自国民の民族的解放や,近代国家または社会主義国家としての建国を記念した日であり,古代の建国説話に基づく建国記念日は,大韓民国の開天節(10月3日)と日本の建国記念の日のみである。
日本では1948年〈国民の祝日に関する法律〉の制定によって紀元節は廃止されたが,51年以来神社本庁,郷友連盟など右派的勢力によって,紀元節復活を目ざす運動が始められた。57年には自由民主党議員の提案になる祝日法一部改正案が初めて国会に上程されたが,この法案では紀元節の呼称は避けられ,建国記念の日の名称で2月11日を祝日に加えるという方向が打ち出されていた。これに対し,こうした動きに天皇制国家主義の復活や思想・学問の自由の侵害の危険を感じた歴史関係者などは,早い時期から反対運動を展開していた。祝日法一部改正案は65年,佐藤栄作内閣から政府提出法案となり,66年に同法案は建国記念の日の日付を不確定にしたまま,一部野党の賛成を得て議会を通過し,ここに建国記念の日は,敬老の日,体育の日とともに,新たに国民の祝日に加えられた。66年12月8日,建国記念日審議会は多数決で2月11日を建国記念の日と決定して答申し,翌日政府はその旨を政令公布した。これを事実上の紀元節の復活とみて,67年から毎年2月11日には全国各地で建国記念の日不承認の反対集会が開かれている。これに対し政府は,70年代末以降建国記念の日奉祝集会の総理府,文部省後援を決定し,奉祝集会に公的色彩を与えようとしている。
執筆者:赤沢 史朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報