日本歴史地名大系 「弁ヶ岳」の解説
弁ヶ岳
べんがだけ
首里城跡の東約一キロに位置する標高一六五・六メートルの丘。方音ではビンヌダキ。首里台地の東端部にあり、地質的には新第三紀鮮新世の泥岩・砂岩からなり、頂上部には冠岩として琉球石灰岩がある。那覇市の最高所で航海の目印ともなった。嘉靖二二年(一五四三)の国王頌徳碑(かたのはなの碑)には、頂に生茂る樹叢の枝葉が揺れ動く様は翠鳳が羽ばたくようだと記され、諸峰に冠たる山なので王の冊封正使として渡米した斉鯤は九月三日、摂政尚大烈・三司官毛国棟とともに弁ヶ岳に遊山に出かけ、「留客竹深処 廬中小有天 鑿池泉水活 剪葉樹陰円 挿架排書画 飛觴逐管絃 清遊歓竟日 不覚酔
然(留客 竹深き処/廬中 小さき天有り/池を鑿ちて 泉水活き/葉を剪〔き〕りて 樹陰 円し/挿架 書画を排〔なら〕べ/飛觴 管絃を逐う/清遊して 歓ぶこと竟日/覚えず 酔いて
然たり)」という詩を残している(東瀛百詠)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報