彦坂元正(読み)ひこさかもとまさ

改訂新版 世界大百科事典 「彦坂元正」の意味・わかりやすい解説

彦坂元正 (ひこさかもとまさ)
生没年:?-1634(寛永11)

江戸前期の代官頭小刑部(こぎようぶ)と称した。光景の子。1589年(天正17)徳川氏5ヵ国総検地奉行となる。翌90年関東入国後代官頭となり,相州鎌倉郡岡津(現,横浜市泉区)に陣屋を構え相模伊豆を検地した。伊奈忠次大久保長安らと伝馬(てんま)・治水民政に参画し,独自の彦坂流によって年貢収納を行う。1600年(慶長5)関ヶ原の戦では小荷駄(こにだ)奉行を務めたが,翌01年には鶴岡八幡宮修理ののち,一時閉門を命じられた。05年年貢不正を農民に訴えられ改易。のち老中で古河藩主の土井利勝に仕えた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「彦坂元正」の解説

彦坂元正 ひこさか-もとまさ

?-1634 織豊-江戸時代前期の武士
徳川氏の五ヵ国総検地の奉行をへて,家康の関東入国後の天正(てんしょう)18年代官頭(がしら)となる。相模(さがみ),伊豆(いず)を検地。伊奈忠次,大久保長安とともに三目代(もくだい)のひとりとされた。慶長11年年貢不正の発覚などで改易(かいえき)された。寛永11年1月8日死去。名は元成とも。通称は小刑部(こぎょうぶ)。

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世界大百科事典(旧版)内の彦坂元正の言及

【代官頭】より

…江戸初期の関東領国支配の中心であった有力な大代官の呼称。一般に三河譜代の伊奈忠次(備前守),武田旧臣の大久保長安(石見守),今川旧臣の彦坂元正,長谷川長綱らの有力な地方巧者(じかたこうしや)をいう。彼らは1590年(天正18)関東入国以前から検地や給人知行を担当したが,入国以後は徳川家康の側近グループの一翼となり,幕政に参画しながら代官,手代を指揮して地方行政を実施した。…

※「彦坂元正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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