後三国(読み)こうさんごく(その他表記)Hu-Samguk

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後三国」の意味・わかりやすい解説

後三国
こうさんごく
Hu-Samguk

朝鮮,新羅末期に台頭した泰封,後百済,新羅の3国を併称した呼称。新羅は9世紀後半頃から内乱が相次ぎ各地に土豪が割拠したが,鉄円 (江原道) に拠った弓裔 (きゅうえい) は高句麗を継ぐと称して 911年には年号を定めて水徳万歳とし,国名も泰封と号した。また 900年には甄萱 (けんけん) が完山 (全羅北道) に都して後百済と号し,百済の再建を志した。こうして 10世紀初頭の朝鮮半島には微弱な新羅とともに後百済,泰封の3国対立の情勢が現出した。のち弓裔は暴に流れて人心を失い,代って部下の王建がこれを討って自立し,天授1 (918) 年高麗と称した。ところが 927年,後百済の甄萱は慶州に侵入して新羅の景哀王に迫って自殺させ,族弟金傅 (→敬順王 ) を擁立したので後百済と高麗の関係は悪化し,激しい抗争が展開された。しかし後百済ではまもなく内訌が起り,甄萱はその子神剣に圧迫されて王建のもとに走ってその庇護を受けた。代って後百済王となった神剣と王建の高麗軍は 936年,一利川 (慶尚北道) で戦い,後百済が敗北した。これより1年前の 935年には新羅の敬順王が一族をあげて王建に投降しており,後三国は王建によって最終的統一をみた。

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世界大百科事典(旧版)内の後三国の言及

【新羅】より

…その後も私貿易は盛んであったが,9世紀に入ると朝鮮海峡に海賊船が横行し,ときに日本の沿岸を襲うこともあった。
[第5期――地方自立期]
 この時期は王畿を基盤とする貴族体制に復帰したため,地方が自立し,やがて新羅王朝も地方政権となる後三国時代を迎えた。834年に骨品制による家屋,衣服,生活用具などの規定を定め,王畿住民の身分序列を設定した。…

※「後三国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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