日本歴史地名大系 「後国府跡」の解説
後国府跡
ちくごこくふあと
古代、筑後国に置かれた国府の跡。行政区画では西海道に属し、大宰府の管轄下にあった。「筑後国風土記」逸文(釈日本紀)に「筑後の国は、本、筑前の国と合せて、一つの国たりき」とあるが、一つの国とは筑紫国であろう。筑後国は七世紀末頃に分置・成立したとみられ、「和名抄」はその治所の国府所在地を御井郡とする。この所在地について江戸時代中期以降
前身官衙は七世紀後半代、白村江での敗戦後、大宰府防衛網の一環として大宰府の背後にあたる有明海方面からの唐・新羅連合軍の侵攻を防ぐ目的で、筑後川を臨む枝光の低位台地に軍事的色彩の濃い官衙が設置された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報