古国府
ふるこ
[現在地名]高岡市伏木古国府・伏木錦町・伏木東一宮・伏木古府二丁目
射水川(現小矢部川)河口左岸、伏木村の南に位置。佐々成政によって還住が許された浄土真宗本願寺派の勝興寺の境内に営まれた寺内町。同寺は古府谷と赤坂谷に挟まれた台地上に立地し、古代には越中国府として国守大伴家持らが政務を執った地で、中世には古国府城があった。天正一二年(一五八四)一二月日勝興寺に守山城主神保氏張から「府之分一円」が寄進され、寺内町住民には諸役の免除および町内の自由営業・寺用船への便宜供与が認められた(「神保氏張制札」勝興寺文書)。古国府の高は七五石に定められており、そのため新田を開いても免付等の詮議がないとしている(三州地理雑誌)。古国府は寺社奉行の支配地として藩の諸役は免除され、組にも属さず、地頭である勝興寺の寺用が公用となっていた。代官・勝興寺家老(家司)・用人・町役人によって支配されており、町役人は町肝煎・町頭三名・船肝煎の五名で構成されていた。勝興寺御用を勤める伝馬村は伏木・国分・一宮・古府・串岡・矢田・城光寺の七ヵ村で、参勤交代の人馬御用が免除されていた。
町の構成は字大伴に勝興寺があり、上町・中町・浦町・下町に門前集落が築かれ、東方には紺屋下、北方には清水・原田・串ヶ館・岸ヶ館・石坂、南方には東館、射水川沿いに浜西・川尻がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の古国府の言及
【寺内町】より
…また東海地方では尾張・美濃境の富田(とみだ)(愛知県尾西市)などにできたが,三河では真宗寺院はあったものの寺内町の発展はなかった。北陸地方では金沢,城端,井波,古国府(富山県高岡市)の真宗寺院があり,16世紀末には町場化がすすんだ。以上は真宗系寺内町であるが,これと対立した日蓮宗では摂津尼崎に本興寺,長遠寺寺内町がみられる。…
※「古国府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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