日本歴史地名大系 「徳光村」の解説
徳光村
とくみつむら
徳光村
とくみつむら
徳光村
とくみつむら
丹後国田数帳に「徳光保 十一町二段二百十六歩 後藤次良左衛門」とみえており、中世末の丹後国御檀家帳には
と記される。これによれば「よし里」「高山」も徳光の内であったらしいが、この地名は遺存しない。「よし里」は丹後国田数帳に「吉里保 廿九町三百五拾四歩 細川讃州」とみえ、同一の地と推されるが確定しがたい。
江戸時代に入って徳光村は慶長検地郷村帳に高八三八石余とあるように、竹野郡内でも有数の大村であった。延宝九年(一六八一)の延高では一千五九石余となる(天和元年宮津領村高帳)。
徳光村
とくみつむら
徳光村
とくみつむら
徳光村
とくみつむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報