徳永恕(読み)とくながゆき

改訂新版 世界大百科事典 「徳永恕」の意味・わかりやすい解説

徳永恕 (とくながゆき)
生没年:1887-1973(明治20-昭和48)

社会事業家。東京新宿の生れ。貧しい家に育ち,東京府立第二高等女学校(現,都立竹早高校)在学中から国禁の書を読み,キリスト教の洗礼をうけた。1908年卒業と同時に,四谷鮫ヶ橋の二葉幼稚園(1916年に二葉保育園改称保母となった。園の創立者野口幽香(ゆか)(1866-1950)から〈二葉大黒柱〉と信頼され,以後青鞜》派にひかれつつもみずから後衛を任じ,つぎつぎと社会事業をおこした。19年不就学児童のための小学部を設置,21年には死か堕落岐路にあえぐ母と子を収容する〈母の家〉を創設した。第2次大戦後焼け跡に二葉保育園を再建し,戦災母子や孤児の収容保護などにも活躍した。54年女性最初の〈名誉都民〉に選ばれた。
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20世紀日本人名事典 「徳永恕」の解説

徳永 恕
トクナガ ユキ

大正・昭和期の社会事業家 元・二葉保育園園長。



生年
明治20(1887)年11月21日

没年
昭和48(1973)年1月11日

出生地
東京都新宿区牛込

学歴〔年〕
東京府立第二高女補修科〔明治41年〕卒

主な受賞名〔年〕
東京都名誉都民〔昭和29年〕,朝日賞(昭37年度)

経歴
15歳で受洗。野口幽香園長の二葉幼稚園保母となり66年間務めた。大正5年二葉保育園と改称、不就学児のために小学部を設置、10年母子寮「母の家」を創設。昭和2年第2代園長、10年理事長となった。戦後は戦災母子、孤児などの収容保護に当たり、二葉乳児院、二葉学園(養護施設)を設立した。29年東京都名誉都民となり37年度朝日賞を受けた。終生独身。

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百科事典マイペディア 「徳永恕」の意味・わかりやすい解説

徳永恕【とくながゆき】

社会事業家。東京新宿の生れ。東京府立第二高等女学校在学中にキリスト教受洗。1908年の卒業後,四谷鮫ヶ橋の二葉幼稚園(のち二葉保育園)の保母となった。1919年不就学児童のための小学部を設置,1921年日本初の母子保護施設〈母の家〉を創設した。1931年二葉保育園園長となる。第2次大戦後,二葉保育園を再建,戦災母子や孤児の収容保護などにも活躍した。1954年女性最初の〈名誉都民〉に選ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳永恕」の解説

徳永恕 とくなが-ゆき

1887-1973 大正-昭和時代の社会事業家。
明治20年11月21日生まれ。東京府立第二高女卒業後,四谷の二葉幼稚園(のち二葉保育園)の保母となる。不就学児童のための小学部や日本ではじめての母子保護施設「母の家」を創設。昭和6年二葉保育園園長,のち理事長。戦後も戦災母子や孤児の収容・保護につくした。昭和48年1月11日死去。85歳。東京出身。

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367日誕生日大事典 「徳永恕」の解説

徳永 恕 (とくなが ゆき)

生年月日:1887年11月21日
大正時代;昭和時代の社会事業家。二葉保育園園長
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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