中国北部の自治区。中国では内蒙古自治区と書く。北東~南西~西にのび,東から南側は東北,華北,西北の諸省,西から北側はモンゴルやロシアと隣り合う。面積118万3000km2,人口2332万(2000),人口密度19人/km2。8盟,19市(うち県級市15),17県,49旗,3自治旗からなる(1994年末現在)。区都フフホト(呼和浩特)。住民は漢族(全人口の80~90%),モンゴル(10~15%)が主で,ほかに北東部にダフール(達斡爾),オロチョン(鄂倫春),エベンキ(鄂温克),東部に満州,中部に回族などの諸民族がみられる。
この地には隣国モンゴルからつらなる高度1000~2000mで波状の起伏をもつ高原がひろがり,その東には標高1500mの大興安嶺山地が南北に,南には1000~2000mの陰山山脈が東西に走る。高原上には広大な草原のほかに,西部にパタンチリン(巴旦吉林),テングリ(騰格里),ウランプホ(烏蘭布和)などの砂漠がある。黄河は寧夏回族自治区からこの地に入って北流し,陰山山脈に突き当たって,その南側を東流するが,この黄河の南側に北低南高(南部で約1500m)のオルドス(鄂爾多斯)高原があり,ここにもモウス(毛烏素)などの砂漠がみられる。黄河流域には,古くから水路が発達し肥沃な土壌をもつ高度1000m前後の河套(かとう)平原があるが,これは西部の後套平原と東部の前套平原(別名フフホト平原)から成る。また,大興安嶺東麓,嫩江(のんこう)流域には遼嫩平原がある。河川は黄河のほかに,西部に内陸河川の弱水などがあり,弱水による湖,居延海や北東部のフルンブイル(呼倫貝爾)高原には黒竜江の上流にあたる額爾古納河(アルグン川)を発するフルン(呼倫)湖(ダライ・ノール)がみられる。気候は大陸性で,1月平均気温は西部で-10℃,中部-20℃前後,北東部-30℃,7月は西部25℃前後,中部・北東部20℃前後で年間較差が大きい。年降水量は200~400mmで乾燥しているが,とくに西部は150mm以下であり,一方,大興安嶺東部や自治区南東部は400~500mmはある。
この地の歴史は,中国王朝やさまざまの遊牧民族による支配の歴史であるが,まず古くは中国北方の匈奴が,前3世紀末に冒頓(ぼくとつ)が出て,東胡など周辺諸民族を滅ぼして強大な勢力をひろげ,漢の北辺をおびやかした。漢は,はじめ対匈奴和親政策をとっていたが,前135年(建元6)武帝が遠征軍派遣を決定,以後,匈奴とのたび重なる戦いののちその勢力を衰退せしめた。その後,匈奴は南北に分裂,そのうち南匈奴は漢に服属し,やがて中国北部へ農耕民として入っていった。彼らのあと,この地には東胡の子孫である鮮卑が入るが,彼らは中国に北魏王朝を樹立,こんどはトルコ系の柔然がこの地一帯を支配した。しかし,6世紀中ごろアルタイ地方から勢力をのばしてきた突厥(とつくつ)がこれを滅ぼし,隋・唐をおびやかすに至った。これに対して,7世紀中ごろに唐の太宗は突厥内部の乱れをついて東突厥を滅ぼして,この地を再び中国王朝の支配下においた。
その後,この地は唐末から台頭してきた契丹(遼),女真(金)による支配を経て,13世紀初めチンギス・ハーンの出現を契機に生まれたモンゴル族の統一国家,ついでその中国王朝である元の支配下に入った。元のあとの明代にもモンゴル族はこの地にあり,中央アジア方面などにも勢力をひろげた。しかし,やがて中国の清朝が1634年(天聡8)この地を征服,さらに1911年の辛亥革命後は中華民国の領域となった。その後,日本による〈満州国〉成立と共に,この地の東部はその領域に入り,日中戦争中は他の地域も日本の支配下におかれた。日本の敗戦後,国民党による内蒙古共和国臨時政府が成立するが,45年11月共産党の指導で張家口にできた内蒙古自治運動連合会がそれにとって代わり,46年4月には,北東部のウランホト(烏蘭浩特)にあった東蒙古人民自治政府との間で統一が達成された結果,47年4月の内モンゴル人民代表会議を経て,5月1日新中国成立の2年5ヵ月前に内モンゴル自治区が生まれた。
内モンゴル高原の広大な草原では牧畜が盛んであるが,牧畜民は,昔はあちらこちらに水や草を探し求めながら,いわば〈運に任せて家畜を養う〉という不安定な状況と封建的支配体制の下で,貧しい生活を強いられていた。しかし,解放後,こうしたモンゴル牧畜民の生活安定と地位向上のために,牧草地の造成・保護,地下水開発,水路建設,家畜の防疫,機械化,飼料貯蔵など多方面での改善がおこなわれ,その結果,今日では学校,病院,商店などのある集落に定住して牧畜をおこなう様式が定着してきた。なお,家畜としては,羊,牛,馬,ラクダなどがあり,北東部の三河牛,三河馬は有名である。農業は清代から山西,山東などから移住してきた漢族によって河套平原でおこなわれてきたが,解放後は水利施設がいっそう発展し,この平原は自治区の重要な農業地域となっており,春小麦,ソバ,アワ,ジャガイモ,ゴマ,テンサイなどを産する。また,フフホトや包頭(パオトー)などの郊外では野菜や牛乳,卵などが生産される。そのほか,大興安嶺の森林地帯における林業は,中国において重要な地位を占めている。
鉱産資源としては,大青山やハイラル(海拉爾)などの石炭,白雲鄂博の鉄鉱石をはじめ,リン鉱,希土鉱,中北部の塩湖からの塩などがあるが,この鉄鉱石と石炭を基礎に包頭に建設された鉄鋼コンビナートは,〈草原鋼城〉として有名である。工業は鉄鋼のほかに,農牧機械,ディーゼルエンジン,電子機器,皮革,毛織物,酪農製品などがみられ,また,伝統工業としてドロン(多倫)の馬鞍(うまくら)や蒙古馬靴がある。なお,主要工業都市としては,包頭,フフホト,赤峰,ハイラル,石炭工業の烏海などがあげられる。
交通面では京包鉄道(北京~包頭,1922年開通)のほかに,解放後,1958年に開通した包蘭鉄道(包頭~蘭州),1954年の開通で,モンゴルからロシアへとのびる集二鉄道(集寧~二連浩特)があり,そのほか,集通鉄道(集寧~通遼),京通鉄道(北京~通遼),浜洲鉄道(ハルビン(哈爾浜)~満洲里)などもある。自動車道路の建設もめざましく,今日では全長2万余kmとなり,また黄河など全長800余kmの可航水路もみられ,フフホトと国内や自治区内の主要都市を結ぶ航空路も発達している。
自治区内の歴史的遺跡としては,フフホト近郊にモンゴル語,漢字,契丹や女真文字の文書をおさめた金代の経塔や匈奴の支配者に嫁いだ漢の王妃,王昭君の墓,あるいは〈牧馬図〉など多数の壁画のある後漢時代の墓(ホリンゴール漢墓)などがあり,西部砂漠のエチナ(額済納)地方には,西夏のカラ・ホト(黒城)城址がある。そのほか,包頭の北東にはラマ教の寺廟群がある。
→モンゴリア
執筆者:小野 菊雄
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