20世紀日本人名事典 「徳田八十吉」の解説 徳田 八十吉(1代目)トクダ ヤソキチ 明治〜昭和期の陶芸家(九谷焼) 生年明治6年2月20日(1873年) 没年昭和31(1956)年2月20日 出生地石川県小松市 旧姓(旧名)二木 主な受賞名〔年〕北国文化賞〔昭和28年〕 経歴少年時、家業の染色業を手伝いながら、荒木探令に日本画を学んだ。義姉の嫁ぎ先の松雲堂松本左平に師事、九谷焼絵付を5年間修業。古九谷、吉田屋窯を目ざして釉薬の研究を続け、深厚釉という新しい色調を出すのに成功。明治30年から各種美術展でたびたび受賞。大正〜昭和にかけ、宮中、各宮家への献上品など、九谷を代表する陶芸作家となった。昭和28年無形文化財保持者。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳田八十吉」の解説 徳田八十吉(3代) とくだ-やそきち 1933-2009 昭和後期-平成時代の陶芸家。昭和8年9月14日生まれ。祖父の初代,父の2代徳田八十吉に九谷焼をまなび,古陶磁の表現技法に工夫をくわえ,色釉(しきゆう)の濃淡と対比の美しさを表現,独自の様式を確立。日本伝統工芸展で受賞をかさね,昭和63年藤原啓記念賞。平成9年彩釉磁器で人間国宝。平成21年8月26日死去。75歳。石川県出身。金沢美術工芸短大(現金沢美術工芸大)中退。本名は正彦。 徳田八十吉(初代) とくだ-やそきち 1873-1956 明治-昭和時代の陶芸家。明治6年2月20日生まれ。荒木探令(たんれい)に日本画を,義兄の松本佐平に九谷焼の絵付けをまなぶ。陶画業をいとなみながら釉薬(ゆうやく)の研究をすすめ,深厚釉というあたらしい色調の彩釉を創製した。銘は九谷八十吉。昭和28年無形文化財保持者。昭和31年2月20日死去。83歳。石川県出身。旧姓は二木。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by