志摩利右衛門(読み)しま・りえもん

朝日日本歴史人物事典 「志摩利右衛門」の解説

志摩利右衛門

没年:明治17.1.14(1884)
生年:文化6.5(1809)
幕末明治期の阿波藍商。阿波国(徳島県)名西郡東覚円村の志摩家は,4代万五郎が阿波藍の製造,販売をはじめ,伊勢,尾張売場を開き,5代勘五郎が同村組頭庄屋となる。利右衛門はその子であり,幼名を萬蔵,後年豊園と号した。文政年間(1818~30)以降活発な事業展開を行い,信州松本,出羽米沢に支店を設け秋田にも進出した。また京都にも進出し阿波煙草の販売を行う。さらに砂糖,塩,漆器などの販路拡張にも尽力した。理財に富み,天保12(1841)年徳島藩に藩財政の再建策を上申し,調達勘定役に登用され財政改革を遂行した。他方尊王の志があり京都で頼山陽親交を結び,小室信夫,中島錫胤等の勤王志士にもよく援助をしたといわれている。<参考文献>井上一『志摩利右衛門』,岡本由喜三郎『実業功績 先人小伝』

(天野雅敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志摩利右衛門」の意味・わかりやすい解説

志摩利右衛門
しまりえもん
(1809―1884)

幕末・明治期の阿波(あわ)を代表する大藍(あい)商。名西(みょうざい)郡東覚円(ひがしかくえん)村(徳島市)に生まれ、代々の商号をもち、京都をはじめ31か国に藍の売場株をもっていた。徳島藩の財政が窮迫した天保(てんぽう)期(1830~44)に、藩から勘定役に登用され、藩債整理を中心とする天保小改革に手腕を発揮した。その後に京都で勤王志士たちと交遊して尊王思想をもつようになり、阿波における勤王派に対して資金を援助するなど活躍した。老後万象と号し俳諧(はいかい)を趣味とした。1915年(大正4)に従(じゅ)五位を追贈

[三好昭一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「志摩利右衛門」の解説

志摩利右衛門 しま-りえもん

1809-1884 江戸後期-明治時代の商人。
文化6年5月生まれ。家業の阿波藍(あわあい)の製造販売をつぎ,販路を京都,越後(えちご)などに拡張。徳島藩の財政改革をたすけ,士分待遇となる。京都で頼山陽(らい-さんよう)とまじわり,尊攘(そんじょう)派を援助した。明治17年1月14日死去。76歳。阿波(徳島県)出身。幼名は万蔵。号は豊園。

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