江戸中期の講釈師。本名深井新蔵。一無堂栄山とも号す。12歳で僧籍に入り、隆光(りゅうこう)の下で修行したが、還俗(げんぞく)し、享保(きょうほう)(1716~36)のころから浅草三社権現(ごんげん)前のよしず張りの中で講釈を行った。手に陰茎に似た棒を持ち、男女交合のさまなどを仕方で演ずるという猥雑(わいざつ)さで、2世市川団十郎と並ぶ江戸の名物と称せられた。その一方、大名高家に出入りし、政治批判なども行った見識の持ち主でもあった。『元無草(もとなしぐさ)』などの書もある。彼をモデルとする作品に風来山人(ふうらいさんじん)こと平賀源内の滑稽本(こっけいぼん)『風流志道軒伝』(1763)がある。志道軒の名は3代まであるが、記すほどのことは伝わらない。
[延広真治]