深井志道軒(読み)フカイシドウケン

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深井志道軒」の解説

深井志道軒 ふかい-しどうけん

1680?-1765 江戸時代中期の講釈師。
延宝8年?生まれ。真言宗の僧で大僧正隆光の侍僧となる。のち還俗(げんぞく)し,40歳ごろから江戸浅草寺境内で男根をかたどった棒を手に辻(つじ)講釈をはじめる。歌舞伎の2代市川海老蔵と人気を二分し,平賀源内は「風流志道軒伝」をあらわした。明和2年3月7日死去。86歳?山城(京都府)出身。名は政七。通称は新蔵。法名は栄山,義定。別号に一無堂。
格言など】穴を出て穴に入るまで世の中にととん頓着せずに楽しめ(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の深井志道軒の言及

【講談】より

…また村上魚淵もよく知られた。宝暦・明和(1751‐72)のころに,男根形の棒を手に,僧侶・女性を痛罵する講釈で異彩を放ったのは深井志道軒(1682‐1765)で,彼のことは平賀源内の《風流志道軒伝》に記されている。馬場文耕は講釈場(略して釈場(しやくば)という)の整備につとめたが幕政批判が注目され,1758年(宝暦8)9月に金森騒動を扱った《珍説森の雫(しずく)》を読んで処刑された。…

【風流志道軒伝】より

…《根南志具佐(ねなしぐさ)》に続く平賀源内の2作目の小説。当時浅草の境内で滑稽な身ぶりで世相の風刺をしている深井志道軒という講釈師がいたが,源内はこれにほれこみ,この志道軒を天才に仕立てその経歴を小説にした。若いとき僧侶になろうと思っていた志道軒の前に,風来仙人が現れ,もっと経験を豊富にせよと諭す。…

※「深井志道軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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