競技における選手の士気や意欲を高めるために,観衆の応援を指導する組織的な集団をいう。一般的には,観衆の声援や拍子,応援歌をはじめとする士気高揚のための歌唱といった応援行為を演武によって指導,統轄するリーダー部と音楽演奏を行う吹奏部から構成されている。競技の勝利は競技者個人の栄光にとどまらず,彼が所属し,代表する集団や社会の威光と結びつき,また,観衆は自己と競技者を同一視する傾向をもっているから,競技会に応援はつきものとなる。とくに代表選手による特定集団の対抗競技ではこの傾向が強く,応援行為も激しいものとなり,組織化が進む。日本の応援団は,明治中期から盛んになった旧制高校の対校試合における即興的な応援集団が,対校戦の定期化に伴って校友会の一部局として組織され成立した。応援指導は対抗意識を増長させる役割を担い,観衆を応援集団として統制することから,応援団は集団への忠誠心を涵養(かんよう)する機能を果たすようにさえなる。弊衣破帽,蛮カラ精神,攻撃性,排他的な内集団性,そして学生を統轄し,学校への忠誠を強制するような日本の学校応援団の性格は,こうした役割の過度の強調によるものである。1890年一高対明治学院の野球試合において,一高応援隊が明学のインブリー教授に暴行を働いたのをはじめ,対校試合での応援団間の暴力抗争,団内部でのしごき事件などの問題を起こしている。外国のスポーツにも応援団が登場するが,その明るく健康的な姿は日本の伝統的な応援団と対照的である。
執筆者:佐伯 聡夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スポーツゲームで味方の選手を励ますために組織された団体。1890年(明治23)東京・隅田(すみだ)川で挙行された第一高等学校(現東京大学教養学部)対東京高等商業学校(現一橋大学)のボートレースが始まりといわれる。一高は白旗で浅草側。高商は赤旗で向島側に舟を並べて応援団が対抗した。この情景を「屋島、壇ノ浦の戦いもかくやと思われたり」と新聞が報道したほど、双方応援団がエキサイトしたため、以後当分レースが中止された。1906年(明治39)秋、早慶野球試合が中止に至る経過も同様である。このように応援団は大学スポーツに端を発し、一般に応援団とよばれているのは応援指導部のことであり、これが一般学生を指揮して応援団を形成すると考えられる。応援団の存在は野球を中心にクローズアップされた。明治末年から開始された一高・三高(現京都大学)戦、1925年(大正14)秋に復活した早慶(そうけい)戦に、多数の学生を集めた大応援団が組織された。野球ゲームは、攻守交代などインターバルが長いため、応援がしやすく、かつ応援の効果があがるからである。
現在では、応援の方法には各種のくふうがなされ、ブラスバンドを編成してスタンドに座らせ、バトン・トワラーを参加させるなど、太鼓しか使わなかった昔と比べて、明るく華やかなものとなった。なお、アメリカのアイビー・リーグの応援などは個人が自発的に行っているものが多く、組織されたものとはいえず応援団とはよべない。
[神田順治]
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