スポーツのゲームなどで、味方選手の士気を高揚させるために歌う歌。日本で応援歌が最初に歌われたのは、1890年(明治23)春、東京・隅田(すみだ)川で第一高等学校(現東京大学教養学部)対東京高等商業学校(現一橋大学)のボートレースが挙行されたときで、一高生の応援団によって初めて斉唱された。レースの前日、勝利を願って、一高生赤沼金三郎が作詞、当日こんにゃく版をもって印刷し、応援団員に配布したもの。次の歌詞は最初の一部分である。
「花は桜木人は武士、一千人の青年が
誓は固し片町の 高き高等学校の
智徳兼備の第一と、富士の高峰に比ぶべき」
昭和の初期には野球の早慶戦が盛んになり、神宮球場で両校の応援合戦が華やかに繰り広げられた結果、両校の応援歌が多くの人々に愛唱されるようになった。それまでは、学生スポーツの応援のために斉唱された歌は校歌が多く、早慶戦の場合には1903年(明治36)に開始されて以来、替え歌が応援歌として使われていた。早稲田(わせだ)大学の例では、『敵塁いかにかたくとも』は軍歌の『敵は幾万ありとても』の替え歌、慶応義塾大学の『天は晴れたり気は澄みぬ』は『ワシントン』(1902年唱歌教科書)の替え歌であった。
[神田順治]
…おもに学校が制定を企画し,同窓生,学生,教職員などが作詞・作曲する場合が多いが,ときには学校に縁のある有識者,作曲家に依頼して作る場合もあり,また,同窓会が寄贈する場合もある。公式に制定された校歌のほかに,寮歌,応援歌などもあり,それらが公式の校歌に準ずるものとして歌われる場合も少なくない。このようにみると,寮歌や応援歌も広義の校歌の一種である。…
※「応援歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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