改訂新版 世界大百科事典 「応神陵」の意味・わかりやすい解説
応神陵 (おうじんりょう)
応神天皇を葬ったという恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)に同定されている前方後円墳。ただし《日本書紀》には記載を欠く。大阪府羽曳野市誉田(こんだ)の台地上にほぼ北面して築かれ,三段築成で,両側のくびれ部に造り出しを有する。全長415m,後円部径267m,前方部幅330m,後円部高36m,前方部高35m,墳丘の体積約150万m3をはかる。仁徳陵に次いで,日本第2の大型古墳である。墳丘および中堤には,窖窯(あながま)で焼成された埴輪がめぐる。応神天皇の没年を《日本書紀》に基づいて西暦400年前後とみた場合,埴輪の示す陵の築造年代は没年より四半世紀ほど新しい。この点から,応神天皇の陵墓とみなすことには慎重論もある。あえて誉田山古墳と別称するのは,この理由による。陵の周辺には,アリ山(アリ山古墳),丸山,珠金塚,盾塚などの陪冢群があり,一部は発掘調査されている。東の中堤に接する二ッ塚古墳は,応神陵築造以前にさかのぼる。
執筆者:川西 宏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報