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古市古墳群 フルイチコフングン

百科事典マイペディアの解説

古市古墳群【ふるいちこふんぐん】

大阪府藤井寺市から羽曳野市に分布する,4世紀末―5世紀の古墳群。国内第2位の大きさをもつ応神陵や,津堂城山古墳をはじめ,100mを超える前方後円墳,円墳,方墳帆立貝(ほたてがい)式古墳など,大小約100基で構成される。

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大辞林 第三版の解説

ふるいちこふんぐん【古市古墳群】

大阪府羽曳野市と藤井寺市にまたがる大古墳群。古市誉田こんだ古墳群とも。応神陵古墳をはじめ、前方後円墳一九、方墳一一、円墳二五などから成る。

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国指定史跡ガイドの解説

ふるいちこふんぐん【古市古墳群】


大阪府藤井寺市から羽曳野(はびきの)市にかけて点在する古墳群。指定名称は「古市古墳群 古室山古墳(こむろやまこふん) 赤面山古墳(せきめんやまこふん) 大鳥塚古墳(おおとりづかこふん) 助太山古墳(すけたやまこふん) 鍋塚古墳(なべづかこふん) 城山古墳(しろやまこふん) 峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん) 墓山古墳(はかやまこふん) 野中古墳(のなかこふん) 応神天皇陵古墳外濠外堤(おうじんてんのうりょうこふんがいごうがいてい) 鉢塚古墳(はちづかこふん) はざみ古墳(はざみこふん) 青山古墳(あおやまこふん) 蕃所山古墳(ばんしょやまこふん)」。大阪府の東南部、羽曳野市・藤井寺市を中心に東西約2.5km、南北約4kmの範囲に広がり、4世紀後半から6世紀中葉までに築造された。墳丘長200m以上の大型前方後円墳6基を含む123基(現存87基)の古墳で構成され、現存する14基が2001年(平成13)に一括して国史跡に指定された。このうち12基は1956年(昭和31)以降、個別に指定されていたが、青山古墳と蕃所山古墳が追加指定され、改めて名称変更があった。この古墳群の特色は、墳丘長400mを超える大型前方後円墳から1辺10mに満たない小型方墳まで、墳形と規模が多岐にわたっていることである。北部の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵)・仲津山古墳(仲津姫陵)・市ノ山古墳(允恭(いんぎょう)天皇陵)・岡ミサンザイ古墳(仲哀(ちゅうあい)天皇陵)などの古い古墳群と、南部の軽里大塚古墳(日本武尊(やまとたける)白鳥陵)を中心とする前方部が発達した一群とに分けられるが、古墳の造営には渡来系の土師(はじ)氏などが関与していたと考えられる。墳丘長約420m、日本第2位の規模をもつ誉田御廟山古墳は、墳丘は宮内庁が管轄しているため、外濠と外堤だけが史跡指定を受けた。224mの墓山古墳はその陪塚(ばいちょう)とされ、208mの城山古墳、150mの古室山古墳、110mの大鳥塚古墳、103mのはざみ山古墳、96mの峯ヶ塚古墳、60mの鉢塚古墳は前方後円墳。鍋塚古墳は1辺約50mの方墳で、野中古墳は1辺が約37m、助太山古墳は1辺が約36m、赤面山古墳は1辺が15mの方墳。青山古墳は径約60m、蕃所山古墳は径約22mの円墳である。それまでの大王の墳墓造りは主に奈良盆地の中で行われてきたが、4世紀後半以降は、大阪平野にあるこの古墳群や約10km西に位置する百舌鳥(もず)古墳群に移ったともいえる。近畿日本鉄道道明寺(どうみょうじ)駅または古市駅から徒歩約7~15分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古市古墳群
ふるいちこふんぐん

大阪府藤井寺市と羽曳野(はびきの)市にまたがる台地状地形に築かれた、古墳時代中期から後期初頭にかけての古墳の総称。誉田(こんだ)古墳群とも古市誉田古墳群ともよばれたことがある。古墳群は石川以西、東除(ひがしよけ)川以東の東西約2.5キロメートル、南北約4キロメートルの範囲にあるが、羽曳野市と松原市境にある大型前方後円墳、河内大塚(かわちおおつか)を同一の群に含める見方もある。
 この古墳群は陪塚(ばいづか)をも数えると、帆立貝(ほたてがい)式古墳をも含め前方後円墳23基、方墳27基、円墳14基があり、さらに発掘で存在のわかった過去の破壊古墳を加え約90基の古墳がある。この古墳群の特色は、超大型の前方後円墳、誉田山(応神陵(おうじんりょう)に比定)古墳をはじめ、7基の大型の前方後円墳、仲ツ山(仲姫(なかつひめ)陵に比定)、岡ミサンザイ(仲哀(ちゅうあい)陵に比定)、市ノ山(允恭(いんぎょう)陵に比定)、誉田墓山、津堂城山(つどうしろやま)、古市前ノ山、古市築山(安閑(あんかん)陵に比定)などの古墳、さらに直径76メートルの大型円墳、高鷲(たかわし)丸山(雄略(ゆうりゃく)陵に比定)古墳など巨大古墳が群構成の主要な核となっている点である。さらにそれらのすべてが陵墓または陵墓参考地に指定されているのも別の特色である。
 これらの古墳は周濠(しゅうごう)で墳丘を区画し、埋葬施設としては津堂城山古墳の長持(ながもち)形石棺を納めた竪穴(たてあな)式石室や、長持山(ながもちやま)古墳と唐櫃山(からとやま)古墳で九州系溶岩製の家形石棺を納めた竪穴式石室などが知られている。なお古墳群を南北に、いわゆる古市大溝が貫いている。[森 浩一]

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世界大百科事典内の古市古墳群の言及

【アリ山古墳】より

…大阪府藤井寺市野中にある1辺45mの方墳。古市古墳群の中に位置し,応神陵の西濠に接して築かれていて,埴輪,葺石もある。墳頂部の中央,南,北の3ヵ所から遺物を出土した。…

【大阪[市]】より

…大阪府中央部にある府庁所在地。近畿地方のほぼ中央を占める大阪平野にあって,淀川河口の大阪湾岸に位置する。大阪の〈阪〉の字は,江戸時代まで坂を使うのが一般的であったが,明治以後阪に統一された。日本では東京に次ぐ経済力をもつ大都市で,西日本の地域経済活動の中枢をなし,大都市圏は大阪府下をはるかにこえて広がり,京都,神戸の都市圏と複合している。24の行政区からなり,市域の面積は212km2,人口260万2421(1995)。…

【修羅】より

…同時に長さ2.9mの小型の同形の修羅と,長さ6mのてこ状の棒が伴出した。その南の応神陵をはじめとする5世紀の古市古墳群の大規模な土木工事はこのような巨大な石材運搬具を用いた大工事であったことを実感させる遺品である。【坪井 清足】(2)林業では,数本の丸太を急な谷筋に沿って凹管状に並列した運材用滑路を修羅chute(またはslide)という。…

【野中古墳】より

…大阪府藤井寺市野中にある方墳。古市古墳群中にあり,墓山古墳(全長220m余の前方後円墳)の陪冢(ばいちよう)にあたる。1辺の長さ37m,高さ4mの二段築成の墳丘で,周濠があった。…

【土師氏】より

…大王墓の墳丘上に樹立される埴輪が大量であり,また運搬上の困難さを考慮すると,埴輪作りに適したハニのある場所の近くに土師氏が居住し,大王墓が設けられたと考えられる。応神天皇陵古墳を盟主とする古市古墳群が羽曳野丘陵の近傍に所在するのも,理由のあることであった。なぜなら,仁賢天皇の埴生坂本陵,来目皇子の河内埴生山岡上の墓,履中即位前紀に見える埴生(はにゆう)坂の表記からすると,現在の羽曳野丘陵は古代には埴生山と呼ばれており,埴生とはハニの豊富にある場所の意だからである。…

【羽曳野[市]】より

…難波と飛鳥を結ぶ竹内街道が東高野街道(国道170号線)と会合するところに中心集落の古市がある。付近には応神陵,清寧陵,安閑陵,日本武尊陵と伝えられる前方後円墳などが集まった古市古墳群が存在する。明治までは古市が市場町として発達したほかは農村地帯であったが,1899年に河陽鉄道(現,近鉄長野線)が,1923年に大阪鉄道(現,近鉄南大阪線)が開通して以後,沿線に住宅地が形成され始め,第2次大戦後,羽曳野ネオポリスの造成など住宅開発が本格化した。…

【藤井寺[市]】より

…北部は大和川に接し,南部は羽曳野(はびきの)丘陵で羽曳野市に隣接する。丘陵末端に城山古墳や仲哀陵,允恭(いんぎよう)陵,仁賢陵などが集中し,羽曳野市から続く古市古墳群の一角を占める。東部の国府(こう)は河内国の国府が置かれたところで,無土器,縄文,弥生時代の遺跡や飛鳥時代の寺院跡(衣縫(いぬい)廃寺)もある。…

※「古市古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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