デジタル大辞泉 「古市古墳群」の意味・読み・例文・類語
ふるいち‐こふんぐん【古市古墳群】
[補説]世界遺産に登録された26基
津堂城山古墳、
羽曳野丘陵北辺の台地上、羽曳野市北西部から藤井寺市にわたる、東西三キロ、南北四キロの範囲に分布する大古墳群。前方後円墳一九基以上、前方後方墳一基、方墳一一基以上、円墳二五基以上で構成される。群のほぼ中央に位置する、墳丘全長四一五メートルの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府藤井寺(ふじいでら)市と羽曳野(はびきの)市にまたがる台地状地形に築かれた、古墳時代中期から後期初頭にかけての古墳の総称。誉田(こんだ)古墳群とも古市誉田古墳群ともよばれたことがある。古墳群は石川以西、東除(ひがしよけ)川以東の東西約2.5キロメートル、南北約4キロメートルの範囲にあるが、羽曳野市と松原市境にある大型前方後円墳、河内大塚(かわちおおつか)を同一の群に含める見方もある。
この古墳群は陪塚(ばいづか)をも数えると、帆立貝(ほたてがい)式古墳をも含め前方後円墳23基、方墳27基、円墳14基があり、さらに発掘で存在のわかった過去の破壊古墳を加え約90基の古墳がある。この古墳群の特色は、超大型の前方後円墳、誉田山(応神陵(おうじんりょう)に比定)古墳をはじめ、7基の大型の前方後円墳、仲ツ山(仲姫(なかつひめ)陵に比定)、岡ミサンザイ(仲哀(ちゅうあい)陵に比定)、市ノ山(允恭(いんぎょう)陵に比定)、誉田墓山、津堂城山(つどうしろやま)、古市前ノ山、古市築山(安閑(あんかん)陵に比定)などの古墳、さらに直径76メートルの大型円墳、高鷲(たかわし)丸山(雄略(ゆうりゃく)陵に比定)古墳など巨大古墳が群構成の主要な核となっている点である。さらにそれらのすべてが陵墓または陵墓参考地に比定されているのも別の特色である。
これらの古墳は周濠(しゅうごう)で墳丘を区画し、埋葬施設としては津堂城山古墳の長持(ながもち)形石棺を納めた竪穴(たてあな)式石室や、長持山(ながもちやま)古墳と唐櫃山(からとやま)古墳で九州系溶岩製の家形石棺を納めた竪穴式石室などが知られている。なお古墳群を南北に、いわゆる古市大溝が貫いている。
[森 浩一]
〔世界遺産の登録〕古市古墳群にある古墳と、堺(さかい)市にある百舌鳥(もず)古墳群にある古墳のうち45件49基が、2019年(令和1)ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部 2019年7月19日]
誉田(こんだ)古墳群とも。大阪府藤井寺市・羽曳野(はびきの)市の東西5km,南北4kmに広がる古墳中期の大古墳群。羽曳野丘陵から北方の大阪平野にむかって樹枝状にのびた台地上に数列をなして分布する。前方後円墳28基,方墳25基,円墳26基など約100基からなる。誉田御廟山(ごびょうやま)古墳をはじめ,津堂城山(つどうしろやま)古墳・仲津山古墳・市ノ山古墳・岡ミサンザイ古墳などの大王陵級の古墳が含まれ,河内王権説の有力な根拠とされる。前方後円墳には長持形石棺を埋葬主体とする例があり,中小の古墳中には甲冑・刀剣・鏃(やじり)・農工具など大量の鉄製品を埋納し,朝鮮半島・中国との交流を示す副葬品をもつものもある。古墳群の北半は5世紀前半頃まで,南半は6世紀前半頃まで営まれたとみられる。国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…大阪府藤井寺市野中にある1辺45mの方墳。古市古墳群の中に位置し,応神陵の西濠に接して築かれていて,埴輪,葺石もある。墳頂部の中央,南,北の3ヵ所から遺物を出土した。…
…大阪府中央部にある府庁所在地。近畿地方のほぼ中央を占める大阪平野にあって,淀川河口の大阪湾岸に位置する。大阪の〈阪〉の字は,江戸時代まで坂を使うのが一般的であったが,明治以後阪に統一された。日本では東京に次ぐ経済力をもつ大都市で,西日本の地域経済活動の中枢をなし,大都市圏は大阪府下をはるかにこえて広がり,京都,神戸の都市圏と複合している。24の行政区からなり,市域の面積は212km2,人口260万2421(1995)。…
…同時に長さ2.9mの小型の同形の修羅と,長さ6mのてこ状の棒が伴出した。その南の応神陵をはじめとする5世紀の古市古墳群の大規模な土木工事はこのような巨大な石材運搬具を用いた大工事であったことを実感させる遺品である。【坪井 清足】(2)林業では,数本の丸太を急な谷筋に沿って凹管状に並列した運材用滑路を修羅chute(またはslide)という。…
…大阪府藤井寺市野中にある方墳。古市古墳群中にあり,墓山古墳(全長220m余の前方後円墳)の陪冢(ばいちよう)にあたる。1辺の長さ37m,高さ4mの二段築成の墳丘で,周濠があった。…
…大王墓の墳丘上に樹立される埴輪が大量であり,また運搬上の困難さを考慮すると,埴輪作りに適したハニのある場所の近くに土師氏が居住し,大王墓が設けられたと考えられる。応神天皇陵古墳を盟主とする古市古墳群が羽曳野丘陵の近傍に所在するのも,理由のあることであった。なぜなら,仁賢天皇の埴生坂本陵,来目皇子の河内埴生山岡上の墓,履中即位前紀に見える埴生(はにゆう)坂の表記からすると,現在の羽曳野丘陵は古代には埴生山と呼ばれており,埴生とはハニの豊富にある場所の意だからである。…
…難波と飛鳥を結ぶ竹内街道が東高野街道(国道170号線)と会合するところに中心集落の古市がある。付近には応神陵,清寧陵,安閑陵,日本武尊陵と伝えられる前方後円墳などが集まった古市古墳群が存在する。明治までは古市が市場町として発達したほかは農村地帯であったが,1899年に河陽鉄道(現,近鉄長野線)が,1923年に大阪鉄道(現,近鉄南大阪線)が開通して以後,沿線に住宅地が形成され始め,第2次大戦後,羽曳野ネオポリスの造成など住宅開発が本格化した。…
…北部は大和川に接し,南部は羽曳野(はびきの)丘陵で羽曳野市に隣接する。丘陵末端に城山古墳や仲哀陵,允恭(いんぎよう)陵,仁賢陵などが集中し,羽曳野市から続く古市古墳群の一角を占める。東部の国府(こう)は河内国の国府が置かれたところで,無土器,縄文,弥生時代の遺跡や飛鳥時代の寺院跡(衣縫(いぬい)廃寺)もある。…
※「古市古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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