日本大百科全書(ニッポニカ) 「恐怖映画」の意味・わかりやすい解説
恐怖映画
きょうふえいが
「安全な怖さ」を体験したいという観客の好奇心に応じてつくられた映画の総称。ホラー映画ともいう。幽霊、妖怪変化(ようかいへんげ)、怪物(モンスター)が登場する怪奇映画から、異常者の凶行を扱ったニューロティック・スリラー、さらに「異常な事態に直面した人々の混乱と恐怖」を描いたSF映画まで含まれる。二流・三流の安上がり作品も多い反面、恐怖のなかの詩情、戦慄(せんりつ)の美を追求した作品もあり、その範囲はきわめて幅広い。
1910年ごろからのドイツ表現派映画には、芸術的恐怖映画ともいうべき不気味な作品がある。1930年代には、アメリカのユニバーサル映画が製作した『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『狼男(おおかみおとこ)』などがヒット、シリーズ化され、いまや恐怖映画の古典となっている。第二次世界大戦後、フランスのサスペンス映画の名匠アンリ・ジョルジュ・クルーゾが怪談風謀殺スリラー『悪魔のような女』(1954)を発表。クライマックスの浴槽のシーンは衝撃的であり、1996年にアメリカでジェレマイア・チェチックJeremiah S. Chechik(1955― )監督、シャロン・ストーンSharon Stone(1958― )主演でリメイクされた。
そして往年のユニバーサル映画のモンスターたちを、イギリスのハマー・プロが復活させ、テレンス・フィッシャーTerence Fisher(1904―1980)の代表作『吸血鬼ドラキュラ』(1958)をはじめとする諸作を世に送った。またアメリカのロジャー・コーマンは、E・A・ポーの一連の恐怖物語を映画化し、その風格とユーモアに独得の味があった。一方、スリラーの名匠ヒッチコックの『サイコ』(1960。1998年にガス・バン・サントGus Van Sant(1952― )がリメイク)と『鳥』(1963)は、前者は異常者の連続殺人、後者は自然界の襲撃を扱った作品の先駆をなす傑作といえる。そんななかで、ギミック(仕掛け)好きのウィリアム・キャッスルWilliam Castle(1914―1977)は、たとえば『第三の犯罪』(1959)では、クライマックス直前に心臓の鼓動の音とともに画面に時計の文字盤を重ね、「心臓の弱い人は1分間のうちに去れ」とナレーションを入れ、事実そういうだけのショックが待っているという作り方をした。ヒッチコックの『サイコ』の亜流として片付けられたが、きちんと意外性があった。後にキャッスルは、もともとホラー志向のあるロマン・ポランスキの「悪魔憑(つ)き」ものである『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)などを製作した。ゾンビものの開祖といえるジョージ・A・ロメロGeorge A. Romero(1940―2017)の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド ゾンビの誕生』(1968)も、このころつくられている。
1970年代は、まず、ジョン・ハンコックJohn Hancock(1939― )の『呪われたジェシカ』(1971)という小品がある。退院した神経障害(精神障害)の女性が、移住した田舎で体験する奇怪なできごとが、主人公の幻想なのか、もしかすると移住した先は吸血鬼の村なのか、と観客を迷わせる不気味さが無類だが、ほとんど評価されず、話題はもっぱらウィリアム・フリードキンWilliam Friedkin(1935―2023)の『エクソシスト』(1973)に集中した。この映画のヒットに始まる恐怖映画ブームの特色は、それが、従来のいかもの映画のイメージを破り、アカデミー賞受賞監督が撮った一流大作として登場したことにある。しかし、それはやがて一流大作もどきの、話のつじつまなど二の次という作品の乱発を生んだ。その筆頭がイタリアのダリオ・アルジェントDario Argento(1940― )の『サスペリア』(1977)で、グロテスクな画面の連続で観客の神経をどぎつく攻めたてた。このヒット以来、「神対悪魔」の代理戦争もの、異常者の凶行ものなどが、いまも後を絶たない。しかしそれらのなかから、リチャード・ドナーRichard Donner(1930―2021)の悪魔もの『オーメン』(1976。2006年にジョン・ムーアJohn Moore(1970― )がリメイク)、トビー・フーパーTobe Hooper(1943―2017)の異常者もの『悪魔のいけにえ』(1974。2003年にマーカス・ニスペルMarcus Nispel(1963― )が『テキサス・チェーンソー』という題でリメイク)やオカルトの『ポルターガイスト』(1982、製作スティーブン・スピルバーグ)、スタンリー・キューブリックのホテル怪異談『シャイニング』(1980)、リドリー・スコットの宇宙モンスターもの『エイリアン』(1979)、ジョン・カーペンターJohn Carpenter(1948― )の異常者もの『ハロウィン』(1978)、ブライアン・デ・パルマBrian De Palma(1940― )の学園オカルト『キャリー』(1976)や『サイコ』を下敷きにした『殺しのドレス』(1980)、ショーン・S・カニンガムSean S. Cunningham(1941― )の『13日の金曜日』(1980)、ウェス・クレイヴンWes Craven(1939―2015)の『サランドラ』(1977)、『エルム街の悪夢』(1984)、『スクリーム』(1996)などが生まれた。これらはしだいに流血度を競うようになり、「スプラッターsplatter(血しぶき)映画」とよばれたが、アメリカでは「スラッシャーSlasher(めった斬り)映画」の呼称が普通。ともあれ、刺激も過剰になると笑いに転じるもので、サム・ライミSam Raimi(1959― )の『死霊のはらわた』(1983)などは、悪趣味のユーモアといえる。『悪魔のいけにえ』が、レザーマスクの電動ノコギリ男の恐怖感のわりに、流血描写が少ないのは特筆していい。また、人食いザメの襲撃を描いたスピルバーグの『ジョーズ』(1975)も、「恐怖」をモチーフにした作品の一つである。ジョナサン・デミJonathan Demme(1944―2017)の『羊たちの沈黙』(1991)は、天才心理学者にして殺人鬼という主人公が圧倒的であった。これらの多くはシリーズ化され、リメイクもされている。
日本では、第二次世界大戦前から怪猫ものなどの怪談映画がプログラム・ピクチャーとしてつくられているが、戦後の代表作として、中川信夫(1905―1984)の『東海道四谷(よつや)怪談』(1959)、加藤泰(たい)の『怪談お岩の亡霊』(1961)などがあり、また山本迪夫(みちお)(1933―2004)監督・岸田森(しん)(1939―1982)主演の和製吸血鬼シリーズも見落とすことができない。近年のホラー映画は、漫画やゲームとの相互影響が色濃くなった。ブームは、まず、平山秀幸(ひでゆき)(1950― )の『学校の怪談』(1995)のヒットに始まり、鈴木光司(こうじ)の連作のホラー小説から、中田秀夫(1961― )の『リング』(1998)、飯田譲治(じょうじ)(1959― )の『らせん』(1998)が2本立てで上映され、デュアル・ムービー形態が話題となった。またこのころから、(日本映画に限らず)祟(たた)る側、祟られる側の因果関係が希薄になり、つじつまは二の次で、とにかく生理的に脅かそうという、ホラーというよりショッカーの作り方になってきた。そんななかで、黒沢清(きよし)の『LOFT(ロフト)』(2005)、『叫(さけび)』(2006)などが不条理ドラマ的に際だっている。
[森 卓也]
『S・S・プロウアー著、福間健二・藤井寛訳『カリガリ博士の子どもたち――恐怖映画の世界』(1983・晶文社)』▽『『恐怖映画大全――怪奇映画史大研究』(1996・辰巳出版)』▽『デイヴィッド・J・スカル著、栩木玲子訳『モンスター・ショー――怪奇映画の文化史』(1998・国書刊行会)』▽『泉速之著『銀幕の百怪――本朝怪奇映画大概』(2000・青土社)』▽『『The Nightmare from The Movies――ホラー映画 戦慄と怪奇の物語』(2000・ネコ・パブリッシング)』▽『石田一著『図説 ホラー・シネマ――銀幕の怪奇と幻想』(2002・河出書房新社)』▽『黒沢清・篠崎誠著『黒沢清の恐怖の映画史』(2003・青土社)』▽『鷲巣義明著『恐怖の映画術――ホラーはこうして創られる』(2006・キネマ旬報社)』