日本大百科全書(ニッポニカ) 「いけにえ」の意味・わかりやすい解説
いけにえ
神や霊的存在に動物、食物、飲料、物品などを捧(ささ)げる供犠(くぎ)のうち、生きた動物を儀礼的に、と畜して神霊に捧げる行為。とくに人間を用いる場合人身(じんしん)供犠(人身御供(ひとみごくう))という。捧げるものはその動物全体ではなく、その生命や魂や血だけで、肉は儀礼参加者が食べてしまうことが多い。いけにえの風習は狩猟民、牧畜民、農耕民を問わず広く行われていた。北アジアで狩猟民を中心に行われる、たとえばニブヒ(ギリヤーク)やコリヤークの犬の供犠、ニブヒやアイヌなどが行った熊(くま)送りは、森の主に対して捧げる動物のいけにえという側面があった。アフリカの牧畜民ヌエルでは罪を犯したとき、妻が不妊のとき、第一子の出産のとき、双生児が生まれたとき、争いが治まったとき、成人式、結婚式、葬式のとき、病気や飢饉(ききん)のときなどに去勢した雄牛をいけにえにする。農耕民の農耕儀礼はしばしば動物の供犠を伴う。たとえば東南アジアではスイギュウ、ブタ、ニワトリなどが捧げられる。
人身供犠については古代文明の民族の間のものがよく知られている。古代イスラエル、エジプト、バビロニアやケルトなどで人間のいけにえが行われていた。もっとも有名な人身供犠はアメリカ大陸のアステカにおけるものである。アステカでは、第一の月に山の頂上や湖で幼児を殺し心臓を取り出して雨の神に捧げ、第二の月には播種(はしゅ)の神の祭りに奴隷や捕虜を殺し生皮をはぎ、第三の月には雨の神に幼児を多数いけにえにし、第四の月にはトウモロコシの神を祭り、この月までに雨が降らない場合にはふたたび子供を捧げ、第五の月には主神のために若者の心臓をえぐり出し、首を切断して棒に刺し、第六の月には雨の神のために奴隷や捕虜を殺し、第七の月には塩の神に女性を捧げ、第八の月にはトウモロコシの神に女性を捧げ……というように18の月のほとんどで人身供犠が行われた。
インドのゴンド人の社会では、現在ではスイギュウの供犠に変わっているが、かつては穀物の豊穣(ほうじょう)を祈って大地母神に人間が捧げられたという。日本でも神話や伝説のなかで人身御供が語られるが、実際に行われたかどうかは不明である。いけにえの目的は、神霊に贈り物をしてその返礼として神の恵み(雨、豊穣、罪の許し、健康など)を期待したり、供犠動物を媒介として神霊との交流を図ったり、供犠動物を食べる(神人共食)ことによって神霊と人間が一体となることである。
[板橋作美]