日本大百科全書(ニッポニカ) 「サムナー」の意味・わかりやすい解説
サムナー(William Graham Sumner)
さむなー
William Graham Sumner
(1840―1910)
アメリカの社会学創始者の一人。ニュー・ジャージー州のパターソンに生まれる。1863年エール大学を卒業、ヨーロッパに留学し、1866年母校に帰り、数学、ギリシア語の講師を務めた。1872年にはエール大学教授となり、1875年世界最初の社会学講座を開いた。サムナーは、アメリカにおけるスペンサー学派を代表する社会学者として社会進化論の立場にたって、社会制度、社会集団、慣習、モーレスの人類学的・文化社会学的記述を完成した。主著『習俗論』Folkways(1907)は今日でも高く評価されている。没後に、残された資料を弟子のケラーA. G. Keller(1874―1956)が編纂(へんさん)し、サムナーとの共著として『社会の科学』The Science of Society4巻(1927)を公刊した。「習俗」とは、社会に行われる慣習的行為をさすサムナーの造語であるが、社会が存続するためにかならず守らなければならない重要な習俗を、とくに「モーレス」とよび、その解明に力を注いだことは有名である。彼の研究者としての立場は、保守的ではあったが、アメリカの自由主義的社会学の旗手として帝国主義に反対する態度を一貫して守り続けた。
[野口武徳]
『青柳清孝・園田恭一・山本英治訳『現代社会学大系3 フォークウェイズ』(1975・青木書店)』
サムナー(James Batcheller Sumner)
さむなー
James Batcheller Sumner
(1887―1955)
アメリカの生化学者。マサチューセッツ州カントンに生まれる。ハーバード大学を卒業後、コーネル医科大学で研究し、1929年以来同大学生化学教授であった。ニューヨーク州バッファローで死去。彼の研究は酵素の精製に関するもので、1926年にナタマメから、尿素を加水分解するウレアーゼという酵素をタンパク質の結晶として取り出すことに成功した。これは、酵素を純粋な結晶状態で得た最初の研究で、生化学史上特記すべき業績となった。この研究によって酵素がタンパク質であることが確認され、その後の酵素化学発展の道を開いた。その後ノースロップがペプシンなどを結晶化し、またスタンリーが酵素ではないがタバコモザイクウイルスを結晶化した。サムナーはこの2名とともに1946年にノーベル化学賞を授与された。
[宇佐美正一郎]
サムナー(Charles Sumner)
さむなー
Charles Sumner
(1811―1874)
アメリカの政治家。ボストン生まれ。ハーバード大学(1830)、同ロー・スクール(1833)卒業後、弁護士を経て母校で教鞭(きょうべん)をとる(1835~37)。渡欧(1837~40)後、一貫して奴隷制拡大に反対し、自由土地党創立を援助し、議員候補者になった。1851年にアメリカ上院に選出され、57年には共和党から再選され、生涯その地位にあった。厳しい南部批判をしたために奴隷制度擁護者の憎悪を買い、南部議員に議場で襲われ、障害者となった(1856)。南北戦争中、リンカーンの甘い政策を絶えず批判し、戦争遂行合同委員会を設け、北部産業資本の立場をとる共和党急進派幹部のなかでも、もっとも黒人の立場にたち、奴隷解放と黒人の戦争従軍の権利を要求。戦後の再建においても、黒人に白人と同等の選挙権を即時無条件で与えるよう徹底して主張したが、72年の大統領選で共和党が分裂した際、グラント再選に反対し、民主党も推したリベラル共和党のグリーリーを支持した。
[竹中興慈]