アメリカの社会学創始者の一人。ニュー・ジャージー州のパターソンに生まれる。1863年エール大学を卒業、ヨーロッパに留学し、1866年母校に帰り、数学、ギリシア語の講師を務めた。1872年にはエール大学教授となり、1875年世界最初の社会学講座を開いた。サムナーは、アメリカにおけるスペンサー学派を代表する社会学者として社会進化論の立場にたって、社会制度、社会集団、慣習、モーレスの人類学的・文化社会学的記述を完成した。主著『習俗論』Folkways(1907)は今日でも高く評価されている。没後に、残された資料を弟子のケラーA. G. Keller(1874―1956)が編纂(へんさん)し、サムナーとの共著として『社会の科学』The Science of Society4巻(1927)を公刊した。「習俗」とは、社会に行われる慣習的行為をさすサムナーの造語であるが、社会が存続するためにかならず守らなければならない重要な習俗を、とくに「モーレス」とよび、その解明に力を注いだことは有名である。彼の研究者としての立場は、保守的ではあったが、アメリカの自由主義的社会学の旗手として帝国主義に反対する態度を一貫して守り続けた。
[野口武徳]
『青柳清孝・園田恭一・山本英治訳『現代社会学大系3 フォークウェイズ』(1975・青木書店)』
アメリカの生化学者。マサチューセッツ州カントンに生まれる。ハーバード大学を卒業後、コーネル医科大学で研究し、1929年以来同大学生化学教授であった。ニューヨーク州バッファローで死去。彼の研究は酵素の精製に関するもので、1926年にナタマメから、尿素を加水分解するウレアーゼという酵素をタンパク質の結晶として取り出すことに成功した。これは、酵素を純粋な結晶状態で得た最初の研究で、生化学史上特記すべき業績となった。この研究によって酵素がタンパク質であることが確認され、その後の酵素化学発展の道を開いた。その後ノースロップがペプシンなどを結晶化し、またスタンリーが酵素ではないがタバコモザイクウイルスを結晶化した。サムナーはこの2名とともに1946年にノーベル化学賞を授与された。
[宇佐美正一郎]
アメリカの政治家。ボストン生まれ。ハーバード大学(1830)、同ロー・スクール(1833)卒業後、弁護士を経て母校で教鞭(きょうべん)をとる(1835~37)。渡欧(1837~40)後、一貫して奴隷制拡大に反対し、自由土地党創立を援助し、議員候補者になった。1851年にアメリカ上院に選出され、57年には共和党から再選され、生涯その地位にあった。厳しい南部批判をしたために奴隷制度擁護者の憎悪を買い、南部議員に議場で襲われ、障害者となった(1856)。南北戦争中、リンカーンの甘い政策を絶えず批判し、戦争遂行合同委員会を設け、北部産業資本の立場をとる共和党急進派幹部のなかでも、もっとも黒人の立場にたち、奴隷解放と黒人の戦争従軍の権利を要求。戦後の再建においても、黒人に白人と同等の選挙権を即時無条件で与えるよう徹底して主張したが、72年の大統領選で共和党が分裂した際、グラント再選に反対し、民主党も推したリベラル共和党のグリーリーを支持した。
[竹中興慈]
アメリカの社会学者。ニュージャージーに生まれる。1863年イェール大学を卒業し,ヨーロッパに留学して神学を修め,一時聖公会の牧師となる。72年母校の政治学,社会科学教授となり,73年アメリカの大学で最初の社会学の講座を担当する。サムナーは,スペンサー,ダーウィン,J.リッペルトらの進化論に大きな影響を受け,社会生活における文化的側面に関心をもった。1907年に刊行された《習俗論Folkways》では,社会関係,因襲,社会制度がその社会的性格のために個人や社会生活を支配・統制する原動力をもつとした。この膨大な民族的資料に基づいた習俗論は,実証的学風をアメリカ社会学に導入した先駆でもある。そのほか内集団,外集団,エスノセントリズム(民族中心主義)の概念を明らかにし,それぞれの集団がみずからの価値を強調することに着目した。彼の遺稿はA.G.ケラーによって《社会の科学》(1927-28)としてまとめられた。
執筆者:若井 康彦
アメリカの船長。まったくの偶然から,現在の航法においても位置決定の基本となる位置の線を発見したことで知られている。1837年,数日の悪天候のためセント・ジョージ海峡で正確な緯度を見失ったサムナーは,三つの地点緯度を推定し,観測した太陽高度からおのおのの経度を計算したところ,これら3点は海図上で1直線となった。彼は自分の船がこの直線上にあると確信して操船し,目的地に達することができた。この直線が位置の線であり,従来の航法を根本的に変える概念となった。
→航法
執筆者:在田 正義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカの生化学者.ハーバード大学で化学を学び(1906~1910年),一時叔父の経営する綿織物工場に勤めた.Mt.Allison Collegeの化学教師となり,ウースター工業学校の助手を経て,ハーバード大学に戻り,医学部のOtto FolinのもとでPh.D.を取得.1914~1924年コーネル大学生化学助教授,1929年同大学教授,酵素研究所所長となる.1926年ナタマメのウレアーゼの結晶化に成功した.これは酵素の最初の結晶化であり,酵素がタンパク質の一種であることを証明したもので,酵素の化学的研究の本格化への道をひらいた.1937年ストックホルムに赴き,T. Svedberg(スベドベリ)のもとで5か月間,結晶酵素を研究した.酵素の結晶化が評価されて1946年ノーベル化学賞を受賞.1948年アメリカ科学アカデミー会員に選出.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…経度については18世紀になって,クロノメーターの出現で十分な精度で測定が可能となってきた。 さらに18世紀後半,航海暦や六分儀の出現で,精度の高い緯度,あるいは経度が求められるようになり,19世紀中ごろにT.サムナーによる位置の線の発見があり,この方法が現在の位置の決定方法のもととなっている。羅針盤
【位置の線と位置】
航法の中での重要な技術内容に自分の位置を決定する技術があるが,1回の観測によって直接位置を求める手段や方法はない。…
…それに従えば集団での生活がスムーズに営めるという便宜的なものにすぎず,それに反しても当人が不便な思いをするか,不自然だという感じを抱くだけで,集団からの非難・制裁は受けない。第2は,W.G.サムナーのいう習俗folkwaysである。それは,集団で伝統的に適切な行動様式だと是認されている標準的・慣習的規範を指す。…
…A.カーネギーをはじめ多くの経済人や知識人が〈適者生存〉(スペンサーの造語)や〈生存競争〉ということばを口にした。アメリカのスペンサー主義の代表は社会学者W.G.サムナーであり,彼は経済社会への国家の介入は極力退けるべきだと主張した。社会進化論は英米系が中心だという印象が強いが,社会ダーウィニズムをも含めて考えるとすると,もっと太い流れがドイツにあった。…
※「サムナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新