愛知川宿(読み)えちがわしゆく

日本歴史地名大系 「愛知川宿」の解説

愛知川宿
えちがわしゆく

[現在地名]愛知川町愛知川

中世東山道の宿の一で、永禄元年(一五五八)書与の「実暁記」には、京より鎌倉までの宿として「愛智河」があげられ蒲生がもう野から一里、四十九院しじゆうくいん(現犬上郡豊郷町)まで二里の位置にあった。「太平記」巻一四(諸国朝敵蜂起事)によれば、建武二年(一三三五)一二月一九日辰刻に駿馬で京都を発った急ぎの勅使引他九郎は、同日午刻愛知川宿に着いたとある。通常は京都から四、五日の行程であったらしい。翌年正月一二日には京都へ向かう北畠顕家および奥州・関東の軍勢が到着している(同書巻一五奥州勢著坂本事)東国や近江国北方から勢多せた(現大津市)・京都方面へ向かう軍勢は、愛知川渡河を前に当宿近辺に陣を張ることが多かったらしい。永禄一一年九月一一日織田信長が六角氏攻撃を前に愛知川近辺に張ったという野陣の場所も当宿一帯であろう。なお応永三四年(一四二七)の源員定書状案(今堀日吉神社文書)に愛知川南宿領内五日いつか市の記載があることから、中世愛知川宿は南北に分れており、あるいは愛知川市とともに近世愛知川宿より広い範囲を含んでいたとも考えられるが未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の愛知川宿の言及

【愛知川[町]】より

…国道8号線,近江鉄道線が通じる。【松原 宏】
[愛知川宿]
 近江国愛智(知)郡の宿駅。古くから東山道の宿駅としてその名が見え,愛智川とも書かれた。…

※「愛知川宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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