継飛脚(読み)ツギビキャク

デジタル大辞泉 「継飛脚」の意味・読み・例文・類語

つぎ‐びきゃく【継(ぎ)飛脚】

江戸時代幕府が各宿駅に配置し、重要文書や貨物を継送させた飛脚

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「継飛脚」の意味・わかりやすい解説

継飛脚
つぎびきゃく

江戸時代,幕府が直接に運営した飛脚各駅に常備された人馬を乗り継いで貨物や信書が逓送された。天正 18 (1590) 年徳川家康の江戸入封に際して東海道で行われたのが最初。慶長6 (1601) 年伝馬 (てんま) 制が制定され,各街道の各駅に飛脚用の伝馬が常備された。東海道では各駅に 36頭ずつの伝馬が用意され,元禄9 (96) 年の定めでは,江戸-京都を急行 41時 (82時間) ,普通 45時 (90時間) で走った。継飛脚制度は,町飛脚発達とともに徐々に衰えたが,明治4 (1871) 年の国営の郵便制度の確立まで存続した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「継飛脚」の解説

継飛脚
つぎひきゃく

江戸幕府が設けた公用書状の逓送制度。幕府は江戸と京都所司代や大坂城代,また長崎奉行などの遠国奉行との連絡のために,公用書状の運送宿駅制度を利用して,宿継ぎで宿駅人足に運ばせた。時代を下るほどその利用は高まるが,東海道・美濃路では早く1633年(寛永10)には手当として継飛脚給米が各宿駅に下付され,他街道では佐屋路(さやじ)にのみ下付された。継飛脚は御状箱をかつぐ人足とその交代人足が2人で勤め,昼夜を問わず出され,1763年(宝暦13)には,江戸―京都間は普通で5日ほど,急御用で68時間ほどかかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「継飛脚」の意味・わかりやすい解説

継飛脚
つぎびきゃく

飛脚

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世界大百科事典(旧版)内の継飛脚の言及

【飛脚】より

…飛脚の語源は古代律令制度下の飛駅と,その後現れた脚力の二つを織り合わせたものかとの説もある。【新城 常三】
[近世]
 近世の飛脚については,まず幕府が宿駅制度の下で実施した公用の継飛脚があり,各宿に人足が置かれ,川留解除には最初に渡河した。各藩には江戸と大坂と各城下町を結ぶ飛脚があり,尾州,紀州,姫路,雲州などの七里飛脚が有名である。…

※「継飛脚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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