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戸田氏 とだうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

戸田氏
とだうじ

本姓は清和源氏。源義家5世の孫信義が尾張戸田庄の地頭となり,これによって戸田氏を称した。宗光は,洞院実煕の実子ながら,戸田氏に入って以来,藤原姓となる。戦国時代は今川氏に従ったが,のち徳川氏に属し,多くの一族が大名家になった。信濃松本,下野宇都宮,下野曾我野,下野足利,美濃大垣,同大垣新田野村などがあり,明治にいたり,美濃大垣は伯爵に,他は子爵に叙せられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

とだうじ【戸田氏】

近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。

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世界大百科事典内の戸田氏の言及

【尼崎[市]】より

…戦国時代には住民は惣中を結成,一方,海港の要地に着目して細川高国が1526年(大永6)に尼崎城を築城,以後尼崎は城下町として発展した。【熱田 公】 すでに戦国時代に辰巳,風呂辻,市庭,別所,大物の5町から成る町場となっていたが,近世に入ってその地に1617年(元和3)7月戸田氏万石が入封した。10月には新城を築くべしとの幕命が出て,天守閣をもつ城と城下町が建設された。…

【宇都宮藩】より

…53年(宝暦3)年貢米の籾摺(もみすり)率を変更したことから64年(明和1)大一揆が起きている(籾摺騒動)。74年(安永3)肥前島原から戸田氏万7800石が復帰し,幕末に至った。忠寛(ただとお)は大坂城代,所司代を歴任したため,所領の一部を近畿,中国に移されたことがあり,忠温(ただよし)は寺社奉行を経て1845‐51年(弘化2‐嘉永4)老中になるなど代々幕府の要職についた。…

【大垣藩】より

…24年(寛永1)信濃国小諸へ移封された松平氏のあとを,丹波国福知山から岡部長盛が,岡部氏は33年に播磨国竜野へ移されて,山城国淀から松平定綱が入部して6万石をはんだ。35年に松平氏は伊勢国桑名にかわり,摂津国尼崎から移された戸田氏は10万石を領した。以後廃藩置県まで領主,石高ともにかわらなかった。…

【松本藩】より

…数正・康長2代の間に,太閤検地に相当する石直(こくなおし),天守築造,城下町拡張,宿駅整備をみたが,関ヶ原の戦後,年未詳の御家騒動と大久保長安に縁坐して1613年(慶長18)10月改易となった。その後,小笠原氏2代8万石,17年(元和3)から戸田氏2代7万石,33年(寛永10)から松平氏1代7万石,38年から堀田氏1代10万石(うち3万石は関東)がいずれも短期間在封し,その間寛永検地,城地拡張,15組行政制度への移行,高遠・諏訪両藩への各5000石割譲があった。藩政の整備をみたのは42年7月に三河国吉田から加増により入封した水野氏6代7万石の治世のときである。…

※「戸田氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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