戸石村(読み)といしむら

日本歴史地名大系 「戸石村」の解説

戸石村
といしむら

[現在地名]長崎市戸石町・かきみち一―六丁目・上戸石町かみといしまち川内町かわうちまち牧島町まきしままち

矢上やがみ村の東にあり、戸石川が南部で海に注ぐ。沖に牧島がある。中世伊佐早いさはや庄のうち。建武五年(一三三八)二月九日の一色道猷宛行状(深堀文書)に「伊佐早庄戸石村」とみえ、一色道猷(範氏)は当村内矢上空閑民部三郎入道妻女の所領であった田八町などの地頭職勲功の賞として深堀政綱に宛行った。同年三月に沙汰付けが命じられたが(同年三月一七日「小俣道剰施行状」同文書など)、暦応三年(一三四〇)戸石村の田八町について矢上空閑民部三郎入道妻の豊島氏女から異議の申立てがあったが認められず、河原源三郎入道・荏浦(江浦)六郎次郎入道が引渡しの実行を命じられたが(同年五月四日「一色道猷書下」同文書)かれらが引渡しのため入部しようとすると城郭を構えて拒んだ(同年六月五日「沙弥禅覚請文」同文書など)。同四年一色道猷は氏女が重ねて異論を訴えるので、政綱を召喚して参対させることにし、政綱もそれに応じたようである(同年一〇月七日「一色道猷書下案」・同年一二月二三日「深堀政綱請文案」同文書)


戸石村
といしむら

[現在地名]下郷町戸赤とあか

阿賀川支流戸石川左岸の同川と井戸いど沢との合流点に位置する山村。下野街道から水抜みずぬき村で分岐し赤土あかつち峠越で高野こうや(現田島町)に至る道(戸石郷筋)が通る。この道沿いの安張やすわり村から赤土村までの諸村を戸石郷と俗称する(新編会津風土記)。村の西方木地小屋きじごやを通り、土羅入どらいり沢沿いに舟鼻ふねはな峠越で大沼郡野尻のじり(現昭和村)に至る道がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に村名がみえ、高一六一石余。南山御蔵入領楢原組に属する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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