日本歴史地名大系 「手力雄神社」の解説 手力雄神社てぢからおじんじや 岐阜県:各務原市長塚村手力雄神社[現在地名]各務原市那加手力町県道岐阜―各務原線の西方に鎮座する旧郷社。祭神は手力雄神。「たぢからお」ともいう。創建年代は不明であるが、真幣(みてぐら)岩とよばれる古代祭祀跡の存在などから、美濃国神名帳にみえる各務(かかみ)郡二三座のうちの従五位下真幣明神に比定される。光得(こうとく)寺(現羽島郡笠松町)の文明七年(一四七五)一一月二八日の梵鐘陰刻銘に「各務郡弓削田庄佐良木郷長塚宮推鐘 檀那 薄田源左衛門尉藤原祐貞 慈能入道 禰宜藤原兼光 大工兵衛太夫藤原友次 結衆五拾余人」とある。長塚宮とは当社のことで、光得寺の梵鐘はかつて当社のものであった。 手力雄神社たぢからおじんじや 千葉県:館山市大井村手力雄神社[現在地名]館山市大井字船田(ふなだ)にあり、境内には大杉がそびえる。古くは大井(おおい)大明神などと称した。天手力雄命を祀り、旧郷社。養老二年(七一八)の創祀と伝え、承久二年(一二二〇)九条頼経により社殿の造営がなったという。大永四年(一五二四)の棟札などが残る。天正一二年(一五八四)の棟札によると里見義頼が房両総の大守として社殿を修理している。江戸時代には大井村内で社領朱印地高四三石余を有し、真言宗円行寺が別当寺であった(「国華万葉記」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by